筑豊石炭礦業史年表

キーワード:麻生太吉
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No 年表種別 年月日表記 西暦 できごと 備考
1 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 安政四年.8.26 1857/8/26 〔7.7〕 麻生太吉,嘉麻郡立岩村栢ノ森にて出生幼名鶴次郎,父は賀郎,生家は代々庄屋. 9
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2 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1872 ▷麻生太吉,目尾御用山を他の3人と共同採掘,初めて鉱山事業に着手(〔11月〕立岩村副戸長を命ぜられる). 9
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3 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治六年.10.- 1873/10 麻生太吉,忠隈山王谷にて採炭.11月麻生太吉有井山を他の2人と共同で採炭. 9
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4 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治七年.4.15 1874/4/15 笠城築(穂波郡庄司村辰巳ケ浦に2借区,計1990坪),麻生太吉(同郡忠隈村山王谷,1000坪),篠崎貞蔵(同郡幸袋村大谷外2字および相田村寺浦に2借区,計5370坪),児島儀七郎外4人(同郡潤野村平原,1500坪),熊谷又助(同郡潤野村野入,2500坪),山口角平(同郡南尾村伊勢谷,2000坪),福間清三郎(同郡中村真谷,2000坪),福間七平外1人(同郡中村明見,1950坪)借区許可を受ける. 734
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5 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治七年.4.22 1874/4/22 竹森善治(鞍手郡勝野村大戸,2420坪),渕上仁三郎(同郡勝野村大戸,1800坪,'76.11.14廃業),加藤甘平(同郡勝野村大戸,2400坪,'76.7.14廃業),小林徳治郎(同郡磯光村捫原,1200坪),佐野與茂平(同郡磯光村本田,2000坪),山本治郎吉(同郡鶴田村石山谷,1000坪),山本徳次郎(同郡鶴田村二股谷,2400坪),山本兵七(同郡鶴田村大谷,600坪),清水久平(同郡中泉村牟田鼻外1字,1600坪),梶原孫四郎(同郡新多村本入外1字1100坪),竹内作太郎(同郡御徳村石堀谷,2800坪),吉野五郎七(同郡御徳村下杉谷,3200坪),吉野要七(同郡御徳村中ノ谷,1750坪),安永孫兵衛(同郷御徳村葉山谷2400坪),麻生太吉(嘉麻郡有井村下笠原,2137坪),麻生惣兵衛(同郡有井村泉ケ谷,2951坪),篠崎惣七(同郡有井村上桐木谷外1字,2借区,計5325坪),田中作右衛門(同郡鯰田村奥谷,1500坪,'78.3.4廃業),花村徳七(同郡鯰田村笠松,2500坪),許斐六平(同郡勢田村倉谷外1字,5825坪),許斐平三(同郡勢田村五畝谷外2字,5662坪),高瀬小三郎(同郡勢田村小富士外2字,3716坪)借区許可を受ける. 734
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6 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治九年.10.19 1876/10/19 麻生太吉,嘉麻郡立岩村横尻山に280坪の借区許可を受ける. 734
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7 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一二年.1.- 1879/1 麻生太吉,有井泉ケ谷坑を共同で開さく. 9
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8 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一四年.1.- 1881/1 麻生太吉,ほか3人と共同で有井下笠松坑を開坑.2月さらに泉鳥羽坑の共同採掘を開始. 9
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9 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一四年.3.25 1881/3/25 麻生太吉,嘉麻郡綱分村榜示浦に600坪の借区許可を受ける. 734
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10 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一五年.1.- 1882/1 麻生太吉,嘉麻郡上三緒の小借区から採掘の煽石の一手買受け契約を結ぶ. 9/456
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11 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1883 ▷麻生太吉,鯰田坑区1万7000坪を福岡県より譲りうけ,鯰田坑の坑区を拡張. 456
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12 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一七年.1.- 1884/1 麻生太吉,有井下鳥羽炭坑(嘉麻郡)を3人共同で採掘. 9
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13 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一七年.2.- 1884/2 麻生太吉,鯰田炭坑(嘉麻郡)を開さく.蒸気罐を据付け,縮緬五尺に着炭('86年捲揚機設置). 321/318/9
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14 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1884 ▷麻生太吉,嘉麻郡上三緒坑区を買収('94年9月一坑を開坑,'99年2月二坑を開坑,山内・上三緒坑区を合併,芳雄坑区と改称,1912年8月三坑を,1913年1月四坑および8月五坑を開坑). 84
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15 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一八年.8.- 1885/8 麻生太吉,嘉麻郡才田村の大山某から730坪の坑区を譲受け,煽石採掘を始める. 9
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16 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1885 ▷麻生太吉,忠隈炭坑の開さくに当る.また鯰田炭坑に汽罐とポンプを据付けたが火炉なしのあぶり釜で実用に適せず失敗,鯰田はまだ出炭を見ず. 509/9
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17 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一九年.2.- 1886/2 穂波郡忠隈村字宮坂ほか6ヵ所(5万9247坪1合)の石炭借区,浅田金太郎・宮島儀蔵・麻生太吉ら3人に許可される.
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18 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一九年.4.- 1886/4 麻生太吉,嘉麻郡才田村地内に3万3512坪の増借区を出願したが海軍予備炭田の故をもって不許可,やむなく廃坑. 456
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19 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治二〇年.5.24 1887/5/24 麻生賀郎(麻生太吉の父)没.68歳. 9
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20 生産・流通(明治21~) 明治二一年.1.- 1888/1 麻生太吉,上三緒・鴨生・山野の借区許可の分を合併して株式組織三緒社を設立. 9
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21 生産・流通(明治21~) この年 1888 ▷穂波郡桂川村豆田に永富・大熊・佐谷の3人が区民と借区設定を契約('93年6月麻生太吉を加え共同借区許可される). 388
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22 生産・流通(明治21~) この年 1888 ▷麻生太吉等,嘉麻煽石社設立,嘉麻郡笠松村の60万坪の撰定坑区に特許を得て嘉麻炭坑(煽石炭)を開坑. 9/321
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23 生産・流通(明治21~) この年 1888 *筑豊主要炭坑(1000万斤以上)と坑主,遠賀郡-大辻(宮田政市)・第二新手(詐斐鷹助)・金谷(南川正雄)・黒川(香月藤七郎)・筑紫(柴田多七),鞍手郡-新手本洞(許斐鷹助)・最上(西野伴七)・側筒谷(飯野双十郎)・来見(三野村利助)・大之浦(貝島太助)・白鶴(入江卯太郎),嘉麻郡-鯰田(麻生太吉)・大城(安川敬一郎)・穂波郡-平野(広岡信五郎)・目尾(杉山徳三郎)・相田(松本潜)・田川郡-起行(行実孫次郎)・峰地(久良知重敏)・小松ケ浦(和田武生)・宮尾(柳沢茂). 376
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24 生産・流通(明治21~) 明治二二年.1.24 1889/1/24 嘉麻郡綱分村外5ヵ村の撰定坑区61万1400坪を麻生太吉・井上市三郎・有松伴六の3人が借区出願. 453
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25 生産・流通(明治21~) 明治二二年.4.- 1889/4 三菱,新入石炭坑区(鞍手郡剣村)37万7970余坪を三野村利助より譲受け,新入炭坑を経営(以下三菱新入と略称).また麻生太吉より鯰田炭坑第一坑を譲受けて以後第二坑より第六坑までを開さく(以下三菱鯰田と略称). 510/669
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26 生産・流通(明治21~) 明治二二年.6.- 1889/6 笠松炭坑(嘉麻郡下三緒),麻生太吉が開坑し竪坑を開さく,'91年出水のため廃坑. 9/456
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27 地域社会 明治二四年.4.22 1891/4/22 筑豊興業鉄道会社,臨時総会で役員改選.社長堀田正養,常議員麻生太吉・小林作五郎・安川敬一郎・磯野七平・堤猷久・小野隆基・徳弘為章,検査役高瀬九三郎・栗田安壮. 456
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28 企業・労働・災害(明治21~) 明治二四年.7.下旬 1891/7 遠賀川流域の大洪水による炭坑災害-田川郡の峰地炭坑は貯炭200万斤余流失・ポンプ鉄管水没し当分休業.豊国炭坑は坑内大破損.鞍手郡の本洞・新手炭坑も被害甚大,採掘着手は見込なく,坑夫3000人に旅費を与えて解雇.これらの坑夫は目尾・新田炭坑に赴き帰郷者も少なからず,居残ったのは器械方(7歩は解雇)・納屋頭・事務員・坑主ら約100人.京野炭坑は竪坑の減水1ヵ月後の予定,流出炭量140万斤.嘉穂郡の笠松炭坑は休業100日の見込み.鯰田炭坑は運搬車道100日間使用不能,流失炭1500t,沈没炭600t,貯蔵白米50石損失.忠隈炭坑は堤防決潰・坑内浸水・通気坑水没・死者5人・排水作業督励中の麻生太吉危く避難,損害約1万円.遠賀郡の新手炭坑は坑内浸水・復旧まで60日~200日,岩滝・筑紫・御輪地の各炭坑も排水復旧まで30日~60日の見込み.宗像郡の漆山炭坑は坑内満水,流出炭25万斤.池田・多礼の両坑も浸水,復旧30日の見込み.若松港でも大波襲来,船の沈没,破損するもの無数,搭載炭は海中に投ずるか陸揚げする. 453/456
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29 企業・労働・災害(明治21~) 明治二六年.11.- 1893/11 坑業組合,組合員の範囲に企救郡を加え,筑豊石炭鉱業組合と改称(以下鉱業組合と略称).直接各炭坑を基礎とする同業組合に改組.事務所を直方より若松町新地に移転し直方を支部とする.常議員に麻生太吉・安川敬一郎・松田武一郎・安達仁造・筒井省吾を選出. 317
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30 生産・流通(明治21~) 明治二七年.4.8 1894/4/8 麻生太吉,忠隈炭坑の五尺層で70尺の断層を切抜きに失敗して苦境におちいり,前鉱山局長和田維四郎の斡旋で住友吉左衛門に譲渡を交渉. 9
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31 生産・流通(明治21~) 明治二七年.5.1 1894/5/1 住友吉左衛門,麻生太吉所有の忠隈炭坑41万6049坪・穂波坑区11万9362坪の施設一切を譲り受け,野見山米吉などよりの譲受分も加え穂波村・笠松村・飯塚町に跨る66万2661坪の坑区を取得(以下住友忠隈と略称).不成績の忠隈炭坑も本卸より三尺層に着炭,この年4668万斤を出炭. 388
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32 生産・流通(明治21~) 明治二七年.9.- 1894/9 麻生太吉,上三緒第一坑(嘉麻郡)開坑に着手('96年機械を据付け採掘開始,'99年第二坑開さく). 9
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33 企業・労働・災害(明治21~) この年 1894 *福岡県下石炭採掘高1万斤以上の炭坑名,( )内は鉱業人名.粕屋郡-旅石(八尋佐平ほか3人),植木(高山卯右衛門),仲原(大藪好太郎).遠賀郡-大辻(左納権一),第二新手(九州炭鉱),頃末(久保田信之ほか1人),名前(平田作助),吉田(安永兵太郎),水巻(春田惟),第一大隅(中西七太郎).鞍手郡-本洞直方(許斐鷹介),神田(田代又右衛門ほか4人),新西川(井上友次郎),勝野(森清高吉ほか5人),勝野(近藤廉平),本洞(山本周太郎),新手(加藤仁太郎ほか2人),瑞穂(渡辺壮兵衛),新入(三菱),大之浦第一(木村正幹),大之浦第二(木村正幹),鴻ノ巣(占部三折ほか9人),京野(古野三郎ほか2人),日焼古田(許斐正雄),金剛(仲西七三郎ほか2人).嘉麻郡-笠松(麻生太吉ほか1人),碓井(三菱),嘉麻(野見山米吉),鯰田(三菱),大城(安川敬一郎ほか3人).穂波郡-忠隈穂波(久保盛明),相田(中野徳次郎ほか2人),伊勢谷(山口角平),庄司(住友吉左衛門),高雄(岩崎弥之助),潤野(広岡信五郎),目尾(杉山松太郎).三池郡-三池(三井三郎介).企救郡-足立(原口大成),富野(原口大成ほか1人).田川郡-糒(平岡浩太郎ほか2人),奈良(山本喜七郎ほか1人),金田(柏村信),赤池(安川敬一郎ほか1人),田川採炭坑(福島良介),川崎(佐々木恒平ほか6人),川宮(平岡辰次郎ほか3人). 427
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34 企業・労働・災害(明治21~) 明治二八年.11.- 1895/11 麻生太吉,芳雄坑付属製工所(諸機械およびコークス)創業. 442
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35 生産・流通(明治21~) この年 1895 ▷麻生太吉,旧笠松坑の左片盤400間(字山内地区)に斜坑開さく(のちの芳雄山内炭坑). 9
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36 地域社会 明治二九年.1.23 1896/1/23 (株)嘉穂銀行創立総会,資本金18万円,頭取麻生太吉,副頭取金光豊吉,取締役花村久助・野見山米吉・麻生惣兵衛・中野徳次郎・矢野喜平次(3.4飯塚町に開業). 426/9
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37 生産・流通(明治21~) 明治二九年.7.- 1896/7 三菱鯰田,この頃麻生太吉・安川敬一郎・松本潜・野見山米吉らの借区を相次いで譲受ける('97年,更に瓜生長右衛門の借区を譲受け借区延坪数は当初の45万坪余が235万7000坪余に拡張). 321
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38 企業・労働・災害(明治21~) 明治二九年.10.2 1896/10/2 幸袋工作所(資)(嘉穂郡大谷村)創業,発起人松本健次郎・伊藤伝右衛門・安川敬一郎・麻生太吉・中野徳次郎・貝島太助・平岡浩太郎ら,鉱山用機械を製作,資本金7万5000円. 23/160/442
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39 生産・流通(明治21~) 明治二九年.12.- 1896/12 麻生太吉・秋田鍬三郎・竹内直吉,城野琢磨ほか所有の日焼炭坑(鞍手郡)を共同買収,借区10万坪. 321
ページ】: 182
40 生産・流通(明治21~) この年 1896 ▷麻生太吉,嘉麻炭坑・上三緒炭坑の共同経営者の権利を買収し単独で経営. 321
ページ】: 182
41 企業・労働・災害(明治21~) 明治三〇年.7.- 1897/7 麻生太吉,麻生工場(嘉穂郡笠松村)創業.炭坑用機械を製作.職工25人,機関2,公称馬力120,製造品数量271個,製造品価額81万1150円. 642
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42 生産・流通(明治21~) 明治三二年.9.- 1899/9 藤棚炭坑(鞍手郡下境村),頓野の人吉川幹次が28万円で単独借区.藤本銀行からの融資保証人として義弟麻生太吉を介したので権利の一半は麻生に移る. 506/542
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43 生産・流通(明治21~) 明治三三年.3.中旬 1900/3 八幡製鉄所,二瀬村松本潜所有の坑区10万7000余坪を3000余円で買収.5.1大谷村・二瀬村の松本健次郎所有坑区72万5000余坪を119万3000余円で買収.二瀬村・鎮西村の松本潜所有坑区4900坪を買収.10.9穂波村の麻生太吉所有坑区31万8000坪,野見山米吉所有の坑区15万9000余坪を11万7000余円で買収. 542
ページ】: 196
44 地域社会 明治三三年.10.- 1900/10 若松築港(株)の役員と主な株主.役員-取締役安川敬一郎・麻生太吉・田島信夫・山本周太郎・白石直治・金子辰三郎・上野弥太郎,監査役久保太郎・伴野雄七郎.主な株主-三菱(資)・三井銀行・古河市兵衛・毛利五郎・貝島太助・安川敬一郎・住友吉左衛門・松本健次郎・明治炭坑・黒田長成・仙石貢・九州鉄道(株)・麻生太吉・三野村利助・渋沢栄一. 542
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45 生産・流通(明治21~) 明治三四年.4.- 1901/4 笹原炭坑(嘉穂郡碓井村)開坑('05年末,鉱業人花村久助・麻生太吉). 442
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46 生産・流通(明治21~) 明治三四年.5.- 1901/5 麻生太吉,豆田炭坑(嘉穂郡桂川村)開坑. 9
ページ】: 202
47 生産・流通(明治21~) 明治三四年.12.20 1901/12/20 三井(名),本洞炭坑の4坑区を所有,事務所は鞍手郡勝野村大字赤地字林口,翌年鉱業代理人として麻生太吉を選任. 506
ページ】: 202
48 生産・流通(明治21~) 明治三五年.6.- 1902/6 貝島太助,満之浦の麻生太吉名儀の坑区を買収. 68
ページ】: 206
49 生産・流通(明治21~) 明治三五年.7.- 1902/7 麻生太吉,貝島太助の仲介で堀三太郎より本洞炭坑を譲り受け藤棚二坑と改称. 506/388
ページ】: 206
50 生産・流通(明治21~) 明治三六年.4.- 1903/4 清見炭坑(遠賀郡香月村)創業,鉱業者清水行徳.笹原炭坑(麻生太吉経営)開坑. 442/9
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