筑豊石炭礦業史年表

キーワード:中島徳松
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No 年表種別 年月日表記 西暦 できごと 備考
1 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治八年.6.1 1875/6/1 中島徳松,杵島郡福母村にて出生. 739
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2 全国石炭関係 この年 1892 ▷中島徳松(17歳),西松浦郡久原城山に坑夫20~30人の炭坑を経営. 739
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3 生産・流通(明治21~) この年 1902 ▷中島徳松,義兄清次郎と共同して蔵内次郎作の坑区を借区して後藤寺に小松ケ浦炭坑を開坑.附近の小炭坑にしては珍らしく馬匹による捲き上げ機を設置. 502
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4 生産・流通(明治21~) 明治四一年.5.- 1908/5 中島徳松,田川郡金川村糸飛に,大分銀行抵当流れ坑区を入手,清徳炭坑を経営.第二清徳・勝田の2坑を開坑,糸飛炭坑と呼称. 509
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5 生産・流通(明治21~) 明治四四年.9.- 1911/9 この頃筑豊の坑業家,相次いで佐賀郡杵島郡方面に坑区を取得.麻生太吉200万坪,安川敬一郎は白土善太郎名儀で200万坪,田川郡川崎村の中島清隆30万5000坪,中島徳松試掘坑区85万坪. 542
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6 生産・流通(明治21~) この年 1913 ▷中島徳松,田川郡猪位金村に中島副田炭坑開坑(月産1500t),また川崎村所在の蔵内坑区を借区,中島大任炭坑を開坑(月産2000t). 509
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7 企業・労働・災害(明治21~) この年 1914 ▷神戸の鈴木商店,炭坑業に乗出し,飯塚の蔵内坑区を譲受け平恒の大徳坑・神ノ浦坑を経営(のち業績不振のため鈴木の依頼で中島徳松これを引受け,帝国炭業神ノ浦炭坑と改称). 509
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8 企業・労働・災害(明治21~) この年 1914 ▷貞島久三・中島徳松両人と嘉穂郡穂波村平恒区民との間に,穂波炭坑々害補償その他に関する契約書手交.平恒区内に生ずる田畑・宅地・溜池その他悪水・煙毒の被害,浦田部落の飲料水被害については,源知炭坑の出炭高1万斤につき40銭の割合で年々補償金を支払うこと,坑区内道路の使用許可,糞尿・捨石の無償提供,旱魃時の農業用水供給などを協定. 509
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9 生産・流通(明治21~) 大正四年.6.- 1915/6 中島徳松,穂波・源知・飯塚3炭坑の経営権を握り,飯塚炭礦(株)として経営. 739/509
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10 生産・流通(明治21~) 大正五年.4.- 1916/4 中島徳松,飯塚炭坑第一坑を開鑿('17年末坑夫数,男607人・女243人). 482
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