筑豊石炭礦業史年表

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No 年表種別 年月日表記 西暦 できごと 備考
1 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 天保五年 1834 〔9.-〕 楠橋村井手原の焚石丁場は,山麓につき御山の支障を考慮し掘り方中止のところ,焚料にさしつかえるため,村方より山方役所へ再掘方出願. 303
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2 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 天保五年 1834 〔11.-〕 楠橋村牛渕焚石丁場,古畠につき採掘不許可.村方より焚石山損銭のうち丁銭90貫文を焚石山元惣助・嘉平へ助合い. 303
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3 地域社会 天保五年 1834 〔4.-〕 生蝋仕組博多会所設置. 433
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4 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 天保六年.3.12 1835/3/12 〔2.14〕 福岡藩御救方高木平一,遠賀郡楠橋村牛渕丁場見分.昨年丁場取起し出願の際は郡代不許可であったが,御救方より郡代役所へ掛合うので,丁場取起し掘り方出願を命ずる.同月楠橋村庄屋・組頭より遠賀・鞍手郡代役所へ焚石丁場掘り方出願. 303
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5 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1835 ▷黒崎・木屋瀬両宿継立人馬賃銭ならびに長崎奉行への包銭にあてるため,天保3年より同5年までの焚石旅出仕組年限延長を許可される.同5年以降は,〔11.15〕限りで益銭を役所へ収め,年々の利益の中から賃銭および包銭を補う. 82
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6 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 天保七年 1836 〔8.-〕 鞍手郡下境村猿田の百姓利左衛門証文山の焚石丁場1ヵ所を,山元の文助・儀助の両名が旅出用・地焚料として掘り方を願い出て許可される. 82
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7 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 天保七年 1836/12 〔冬〕 遠賀郡楠橋村高江に焚石丁場開坑. 303
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8 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 天保九年.3.8 1838/3/8 〔2.13〕 田川郡河原弓削田村庄屋福田藤五郎,下伊田又蔵掘出しの焚石200万斤を若松へ積下し方願い出て許可される(小倉藩普請役買上げ). 527
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9 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 天保九年 1838 〔2.-〕 遠賀郡楠橋村高江焚石丁場,1昨年開坑の場所採掘困難のため,古掘口を利用して2ヵ所に開口を出願. 303
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10 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 天保九年 1838 〔6.-〕 鞍手郡下境村猿田の焚石丁場1ヵ所(百姓利左衛門証文山の野地)を,山元伝五郎,旅出・地焚用として掘り方を願い出て許可される. 82
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