筑豊石炭礦業史年表

キーワード:第2群炭坑
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No 年表種別 年月日表記 西暦 できごと 備考
1 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 安政一年 1854 〔6.-〕 田川郡金田村人見浦林ケ谷石炭山の採掘につき,村民相談の上,庄屋以下惣百姓中で,古洞に打抜きのおそれあり,田地水あてに支障がくることを理由に,婉曲に反対を陳情. 569
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2 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 安政一年 1854 〔7.-〕 田川郡金田村庄屋・方頭連名にて,林ケ谷石炭山(9月~翌年2月限り)採掘につき,庄屋以下立会いの上,縄張(測量,鉱区決定)通り採掘することを納得したが,溜池や田地の底の古洞へ打ち抜かないよう重ねて要望. 569
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3 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 安政二年 1855 〔5.-〕 田川郡金田村庄屋・方頭連名で,人見浦林ケ谷石炭山の違約採掘につき,藩側へ善処方要望.村方との約束の場所以外の堤頭に石間歩を開口,それが古間歩にも近く田地の舞穴(陥没)も生じはじめたのに,現場の山元が村方の抗議をとりあわないため. 569
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4 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 安政三年.7.16 1856/7/16 〔6.15〕 田川郡金田村人見の下堤(林ケ谷坑区)干上がる.翌日,同村庄屋,見分して,池底に石炭山の水貫を発見,ここより透水した旨を大庄屋に報告. 569
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5 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 安政五年.7.13 1858/7/13 〔6.3〕 田川郡林ケ谷石炭山にて,岡出中の女日雇,足に釘をふみ込み負傷.この処置にからんで,筑後羽犬塚出身治平と出身地不明の仁平口論.夜,手打ちの酒席で,肥前大村領出身の長吉を加え,喧嘩.治平は2人から殴打され死亡.〔6.4〕取調中,旅人(無籍者)の村内居住や村人との結婚が判明.大庄屋以下庄屋,五人組など郡役所に弁解書提出.〔6.11〕死者の係累として仲津領下毛郡会智村出身後家せ以の口述により,一家で仲津領を出奔,子供の眼病治療のため香春に滞留,それより夏吉村萩原の石炭山をはじめ,小倉領内の石炭山や城下町日雇など,数十年間の遍歴判明. 569
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6 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 万延一年.8.8 1860/8/8 〔6.22〕 鞍手郡園田村利三郎・その母・忰貞次の3人,古洞の悪気(ガス)にあてられ死亡(貞次を救い出そうとして利三郎,その母も死亡).〔7.29〕鞍手郡代役所,郡中大庄屋に対し,悪気防止の手当が行き届かぬうちは救助にはいらぬよう申し触れることを令達. 82
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7 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 文久三年.3.15 1863/3/15 〔1.26〕 鞍手郡四郎丸村寺ケ谷の六平受持の芳左衛門〓(間歩)で,同村才明寺谷卯七,終日の雨による落盤事故のため,頭骸骨破裂・脳露出で死亡. 521
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8 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 元治一年.5.31 1864/5/31 〔4.26〕 嘉麻・穂波郡代役所,嘉麻郡平村石山丁場の出願について,田畠への障害等の有無調査方を大庄屋有松直平に命ずる.〔5月〕直平,現地見分の上,丁場口と田地の距離,出水の状況等により,障害のない旨返答. 518
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