筑豊石炭礦業史年表

キーワード:第5群災害
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No 年表種別 年月日表記 西暦 できごと 備考
1 企業・労働・災害(明治21~) 明治二九年.2.1頃 1896/2/1 小松炭坑(田川郡),昨年の出水事故以来1日12万石以上の排水を続けこの頃排水完了(3.3坑内に埋没の運炭箱100函を引上げ,3.6屍体引揚げ終る.7.14糸田村伯林寺で追弔法会,慰霊塔落成式挙行). 542
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2 企業・労働・災害(明治21~) 明治二九年.2.4 1896/2/4 田川郡弓削田村峰地炭坑の汽罐運転手,従業中に坑内陥没,坑内満水のため死亡と推定される. 583
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3 企業・労働・災害(明治21~) 明治二九年.6.19 1896/6/19 大雨,筑豊各炭坑に水害,遠賀郡に被害多く殆んど完全な炭坑なし.鞍手郡でも直方本洞炭坑は採炭中止,嘉穂・田川両郡も多少の被害を生じ,このため出炭減少し若松石炭取引所は炭価を30銭引上げ. 181
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4 地域社会 明治二九年.7.28~29 1896/7/28~
1896/7/29
雨天続きのところ豊前地方に大雨,諸河川増水堤防決壊多数. 432
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5 地域社会 明治二九年.8.- 1896/8 田川郡中元寺に赤痢流行,患者60人以上. 542
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6 地域社会 明治三〇年.2.下旬 1897/2 県下に天然痘流行,とくに田川郡弓削田村では届出患者80余名,未届出者を含めると800人と推定される(5月各郡とも天然痘流行後の清潔法を実施,とくに弓削田村は大々的に実施,各炭坑が散在するため経費2000円に上る). 295
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7 企業・労働・災害(明治21~) 明治三〇年.4.5 1897/4/5 田川採炭後藤寺坑で坑夫40人が喧嘩,即死1人重傷2人,負傷4人,香春警察署員29人が出動.いわゆる〝会社の喧嘩〟として著明. 453
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8 企業・労働・災害(明治21~) 明治三〇年.5.2 1897/5/2 明治第一坑,三尺層左一片附近に火災発生.局部消火不可能のため3日坑口を仮密閉,救援の三菱鯰田炭坑長松田武一郎を加えて会社首脳が協議.10日坑口を開き消火作業再開.火勢猛烈のため水没消火を決定し嘉麻川から約1里の間長樋によって水を引く,7.11準備完了.9.16坑内満水('98年中に揚水完了)明治第一坑は火災直後坑夫を各坑に配置転換.高尾坑へ200人,赤池坑200人,豊国坑130人,伊岐須坑50人,鯰田坑67人,役員は半減. 205/214
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9 地域社会 明治三〇年.5.上旬 1897/5 田川郡後藤寺に伝染病発生,天然痘27人,コレラ・赤痢も頻発し交通遮断4回に及ぶ.5.1~12警察官27人,県庁衛生課長,郡吏員ら50余人,人夫100人を動員して臨時清潔法を実施.費用1000円以上. 295
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10 企業・労働・災害(明治21~) 明治三一年.5.17 1898/5/17 保坂・長津・高江の諸炭坑,大雨により坑内浸水し損害多発.高江炭坑では坑木墜落して損害1000円. 630
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