筑豊石炭礦業史年表

キーワード:第9群災害
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No 年表種別 年月日表記 西暦 できごと 備考
1 地域社会 昭和二八年.春.- 1953/4 田川郡糸田・金田両町の水田180町歩を潤した泌泉が戦中戦後の石炭濫掘で湧水が枯渇,約400戸の農家の死活問題となる. 83
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2 地域社会 昭和二八年.6.25 1953/6/25 梅雨前線の停滞のため九州北部に豪雨,5日間の遠賀川水系連続降雨量は英彦山632.4mm,田川市535.1mm,飯塚491.2mm,直方571.2mm,内野531.2mm,大隈641.5mmを記録.6.26 10時直方市の水位5.33mmを記録,植木堤防破壊,中間町・遠賀村泥海と化す.6.27遠賀川減水はじめ遠賀郡中間町で,26日の最高水位5米より3米に下がり遠賀村には保安隊出動,孤立した村民107人を救出.6.28再び豪雨襲来,鞍手郡植木町の決潰箇所ひろがり鞍手郡若宮・吉川・宮田・笠松の4町孤立する.久留米市水没,門司市山津波のため大惨禍となる,関門トンネル水没,鉄道ダイヤ混乱,南九州の惨禍もひろがる.遠賀川流域の被害,死傷者231人(うち死者20人),浸水家屋3万9744戸(半壊以上953戸),田畑冠水1万4377町(流失埋没1261町歩),土木施設被害額82億6362万円,鉄道2358万円,炭鉱7億9054万6000円.商工業3億8662万1000円,その他24億4815万5000円,総計44億8888万1000円.西日本全域で死者678人,行方不明515人,被害総額1400億円. 56/485
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3 企業・労働・災害(明治21~) 昭和二八年.6.28 1953/6/28 連続豪雨で中元寺川筋が氾濫,田川線豊前川崎駅附近,同池尻・後藤寺,同添田・桝田野田トンネル崩壊で送炭に支障をきたし,その他須藤炭鉱・上尊炭鉱・太陽炭鉱など25坑に浸水. 294
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4 地域社会 昭和二八年.8.- 1953/8 田川郡方城村でワイルス氏病により80人余の少年が発熱. 485
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5 地域社会 昭和二九年.7.29 1954/7/29 田川市西区平松の鰯ケ池堤防決潰,民家2戸流失22戸浸水,また中元寺川増水西区御幸町の30戸に避難命令. 485
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6 地域社会 昭和二九年.7.30 1954/7/30 29日夜より筑豊を中心に北部九州は梅雨豪雨に見舞われ田川で降雨量240mmを記録,中元寺川・穂波川・庄内川などが決潰,筑豊8ヵ町村に災害救助法を発動. 485
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7 地域社会 昭和二九年.8.18 1954/8/18 台風5号,午前零時~2時頃筑豊を通過,平均風速17m,最大瞬間風速30mに達し,田川市・添田町・川崎町など住居の半・倒壊,電線切断の被害発生. 485
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8 企業・労働・災害(明治21~) 昭和三〇年.3.27~4.28 1955/3/27~
1955/4/28
この間第二筑前鉱,三井山野鉱,長田鉱(直方市),三井田川鉱,西川崎鉱で相次いで炭車事故発生し13人死傷. 485
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9 企業・労働・災害(明治21~) 昭和三〇年.6.16 1955/6/16 三井田川三坑,採掘跡で自然発火による内部爆発の焔が天井電装を通じ密閉箇所前の高落箇所のガスに引火ガス爆発.死者10人,重傷者6人,軽傷者2人. 155
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10 地域社会 昭和三〇年.9.30 1955/9/30 台風22号九州縦断,筑豊は午前1時頃台風圏内に入り最大風速29.1mを記録,筑豊の家屋全壊31戸.うち田川署管内15戸,死者4人,重傷者3人の犠牲者を出し,通信線の被害目立つ,田川市の被害総額4300万円,九州・山口の被害者16万人,死傷者205人,家屋全半壊4万戸. 485
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