〔口絵〕

凡例

宝塚市史第二巻 目次

第一章 荘園の移りゆき

第一節 鎌倉幕府の地方支配

鎌倉幕府の成立と摂津地方

鎌倉幕府の成立

多田院御家人の発足

幕府成立の影響

守護と地頭

承久の乱と摂津地方

摂津守護の設置

多田院御家人の再編成

得宗領多田荘の成立

鎌倉幕府の地方支配のしくみ

第二節 荘園の変質

諸産業の発達

二毛作の展開

市場の発展

貨幣流通の進展

作人の成長と名主の変化

尼妙阿の寄進状

作職の成立

中小名・主の成長

加地子名主の成立

重層する土地関係

荘園支配のゆきづまり

小林荘の伝領

伝領をめぐる争論

多田院の修造と多田荘

没落する武士・新興の武士

永仁徳政令の影響

悪党の活躍

有馬への道

鎌倉時代の清澄寺

小林の平林寺

第二章 郷村のはじまり

第一節 荘園から郷村へ

南北朝の動乱

元弘の変と摂津地方

建武の新政

足利尊氏の反乱

動乱の展開

宝塚周辺の観応擾乱

はげしい摂津守護の交替

守護佐々木道誉

南北朝動乱の終わり

新しい村の発達

佐々木道誉の多田院造営

「村」のはじまリ

荘と村のちがい

玉瀬・大原野の逃散

村の発達と南北朝動乱

第二節 石塔をのこした人々

室町幕府の地方支配

摂津守護細川氏

守護による支配のしくみ

たびかさなる段銭・棟別銭

幕府政治の推移

村のたたかいと自治

下剋上の世紀

多田荘の徳政騒動

多田荘と加納の村々

村の構造

宝塚近郊の惣

石造美術品の意味するもの

宝塚は中世石造美術品の宝庫

だれが、なんのために

惣の記念碑として

西長谷の大般若経

室町時代の清澄寺

第三節 戦国の時代

宝塚地方の戦国戦記

戦国の主人公

細川政元の時代

細川高国の時代

細川晴元の時代

細川氏の事実上の滅亡

争乱の意味するもの

埋められた銭貨

七つの壺の発見

古丹波の壺

二〇万枚の銅銭

いつ、だれが、なぜ

貨幣経済の盛行

荘園の解体

戦国時代の多田荘

山本荘の代官請負

米谷荘と小林下荘

荘園解体の意味

中世の中山寺

中世の終末

三好長慶の時代

松永久秀の時代

織田信長の登場

第三章 近世の村の成立

第一節 荒木村重の兵火

信長の入京と摂津

信長入京、旬日にして畿内を平定

摂津の三守護各地に転戦

反信長陣営と将軍義昭

摂津三守護の末路

将軍義昭の追放

摂津の国人・郷衆のゆくえ

荒木村重異例の出世

村重各地に転戦

村重の反逆

有岡城の攻略

戦禍市域に波及

佐曽利城・王佐曽利筑前守

塩川氏の活躍とその滅亡

第二節 天下統一のころ

小浜の町場化

池田信輝父子の摂津領有

小浜毫摂寺の建立

寺内町小浜の形成

安倉出土の天正菱大判金

銀山親鉉の繁栄

千本銀山と紺青山

豊太閤と宝塚地方

秀吉の入湯見舞の菓子折

秀吉の入湯にまつわる口碑

市域に残る太閤検地

屋敷地を登録した役家

豊臣氏の領国体制

第三節 大阪衆と徳川方

家康覇権への道

豊臣政権下の徳川家康

関ヶ原の戦いのあと

徳川氏の摂津の直領

徳川方の摂津領有豊臣方に迫る

秀頼と大阪衆

豊臣秀頼の摂津の所領

大阪衆に割き与えられた秀頼領

摂津では豊臣領なお優勢

慶長期の市域の領主たち

片桐貞隆秀頼より加増

西谷に片桐且元領

旗本渡辺氏の長い知行

秀頼の中山寺再興

片桐且元の業績

片桐且元の治水事業

水論の裁許も

慶長国絵図の作成

近世初頭の道筋

一村法華宗に帰依

第四節 所領配置定着への動き

大阪陣後の所領配置

幕府の直領ひろがる

片桐貞隆の大名預かり地

建部政長の預かり地

代官建部与十郎

銀山奉行を兼ねた代官長谷川藤継

少ない私領

寛永で終わった片桐氏(且元系)の領有

長期にわたった片桐氏(貞隆系)の領有

小普請組旗本渡辺氏

賞罰厳明政策で処分された喜多見氏

尼崎藩領の出現

幕藩体制にふさわしい配置

大阪役職大名領の設定

大阪城代制の創始

大阪定番・大阪加番制の創始

大阪城代領・定番領の成立

市域の城代領・定番領

市域最初の城代領

太田道灌の子孫も領有

三人の城代に受けつがれた平井村

八年間だけの阿部氏領

その後の長い阿部氏の市域支配

定番大名保科氏の市域領有

市域所領配置の定着

地もと麻田藩青木氏の所領

銀山付村の設定と私領の変更

市域所領の定着した姿

秩序だった大阪周辺の所領配置

市域村々の領知変遷

第五節 近世初期の村

村切り進む

近世初期の史料、国絵図と村高帳

近世初期の村高

近世的行政村の成立

村切りの完了

見佐村武庫郡所属に

両郡にまたがった川面村

二枚の正保国絵図

古い街道と宿駅の指定

京伏見街道小浜宿

宿場業務は隣郷の協力で

伊丹・池田宿駅に指定される

生瀬・西宮荷物の争奪

第四章 商業的農業のひろがり

第一節 山あいの村

延宝の巡見と検地

村切り後も山境問題残る

近世初期の山境争論

延宝の上方直領の巡見

延宝検地の指令

近隣大名に検地を委託

延宝検地条目

巡見・検地のための村絵図

巡見使の通過

延宝検地帳

検地高の増加

新検高による年貢収取を延期

山と延宝検地

山の検地と山手米

長尾山の延宝検地

延宝期の山論

元禄期の山論

初期の徴租形態

市域直領の代官たち

大豆納から大豆銀納へ

三分一銀納・十分一大豆銀納制の定着

市域にみる初期の上納例

増徴につながる石代値段

山手米と小物成

銀山の盛期

市域の間歩

小林のかな山

第二節 元禄の繁栄

小浜駅と街道の発展

金仙寺道に代わった名塩道

木元を通るふたつの道の開通

西宮荷物差押え一件再論

米谷村の茶屋・馬宿

小浜町より出訴

米谷村の反論

小浜・米谷争論の裁許

生瀬、青野道の廃道を願う

生瀬の強硬手段裏目に

生瀬村裁許に反論

青野道、街道に指定される

小浜の人馬継立て賃銭

正徳の御定め賃銭規定と小浜

正徳の駅法

繁栄のかげりと享保の年貢増徴政策

元禄国絵図の作成

元禄国絵図にみえる市域

諸国巡見の恒例化

私領巡見使の通過

幕府の国役普請

尼崎藩が土砂留大名に

長尾山の土砂留場見分

長尾山土砂留普請の成果

長尾山内での新田開発

南畑村・北畑村立合新田

享保の新田開発奨励

元禄期までの貢租増徴策

享保期の増徴策(一)

享保期の増徴策(二)

神尾若狭の巡見

前代未聞の高免

第三節 平野部の村

商品生産の進展

並河誠所の畿内回村

売布社の建碑

定着後の所領配置の変化

田安徳川氏領の成立事情

篠山藩飛び地の成立

村人口の推移

村明細帳にみる商業的農業の発展

綿作の展開

山本の植木業

江戸積酒造業と小浜

中筋村の巨大酒造家

小池を銀主とする尼崎銀札

薪の流通

近世中期の村

中山寺と門前百姓

昆陽野芝地の村切り

正徳・享保・元文の洪水

伊孑志・見佐村の代地

伊孑志村代地を見佐村に譲渡

享保期の山論

宝暦期の山論

明和期の山論

寛政期の山論

少ない水論

最明寺川争論(一)

商品流通の発展

宝暦十年の私領巡見

天明八年の御料・私領巡見

慢性的不作の継続

小浜騒動

北在郷の江戸積酒造業

市域の酒造業

街道筋の米商人

青野道の荒廃

西宮送り酒荷物継立争論

青野道の再開

付通し荷物をめぐる紛争

札牛の制

街道筋在郷商人の一例

流通統制と国訴の高揚

寛保期の肥料の高騰と訴願

肥料の高騰と国訴の高揚

菜種作の展開

菜種作農民の明和の訴願

きびしい菜種の流通統制

絞り油屋の不正に抗議する訴願

綿販売の自由規制の恐れ

池田実綿市場開設反対の訴願

国訴への道

市域南部の先進性

第五章くずれゆく封建制

第一節 変動の天保期

民衆の蜂起

伊能忠敬の全国測量

中国・西国街道の測量

有馬・巡礼街道の測量

伊能図の完成

一橋徳川氏領の成立

近世最後の領地変更

下佐曽利の村方騒動

お蔭参りの流行

お蔭おどり

天保の大飢饉

極限にきた窮乏

大塩平八郎の乱

山田屋大助の乱

乱鎮圧のあと

ゆらぐ幕府の威信

天保郷帳の作成

天保国絵図の作成

天保国絵図にみる

中山寺巡見と天保九年の諸国巡見

もし私領になればの質問

天保の上知令

市域では三ヵ村が公収される

上知令の撤回

村々撤回を歓迎

米谷村出荷物差止め争論

宿駅制の動揺

綿国訴の勝利

菜種国訴にみる闘争の高揚

油屋名代廃止の訴願

近世後期の村

在郷商人の成長

在郷の実綿商人

在郷米商人仲間結成の動き

昆陽野芝地の永宛て

近世後期の山論

最明寺川争論(二)

最明寺川争論(三)

第二節 騒乱の幕末期

世直しの世紀

近世後期直領の徴租方式

一橋徳川氏領の収奪強化

天災もまた人災

慢性的凶作つづく

株仲間再興の反応

嘉永・安政の国訴

摂海の防備

つりがね供出の命令

一橋慶喜の上京

京地御用人足・歩兵の徴発

ええじゃないかの乱舞

お札降りと施行

封建領主の終末

幕府直領の没収

一橋・田安両徳川氏領の消滅

中下太夫知所の没収

封建領主の消滅

〔執筆担当〕

〔奥付〕

〔デジタル版公開に伴う正誤表〕