約1万年前、多古の低地部分はまだ海の底でした。やがて海底の隆起によって陸地が増え、低地をぬうように流れる栗山川の流域には豊かな農耕文化が発展しました。栗山川からは約5500年前のものとされる一本木をくり抜いて作った丸木舟が出土しており、魚類の採取や交通の手段として海や川を利用しながら人々が生活をしていたことが窺えます。遺跡も多く、しゃくし塚古墳やおけ塚古墳など巨大な古墳が残っていることから、4世紀頃にはかなりの権力をもった豪族が支配していたと考えられます。
多古地区は江戸時代、多古藩・松平氏一万二千石の城下町として栄えましたが、それ以前から、宿場町としての賑わいを見せていた場所でもあります。
妙見菩薩は、中世に多古(千田荘)を東の本拠としていた千葉氏の守護神として崇拝されていたもので、本像は高さ49.4cmの檜の寄木造で皮鎧を身に着け玉眼を入れた迫力ある妙見像です。本来は千田荘の中心原郷の妙見堂に伝来した像で、千葉本宗家が関係した13世紀後半(鎌倉時代)に遡る制作と考えられています。妙印山妙光寺の寺宝です。 【 目録 】
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妙印山妙光寺
弘安年中 (1278~1287) に日蓮聖人の高弟・日朝が創建したと伝えられ、元禄11年 (1698) の縁起書には、天正5年 (1577) に染井村の原から現在の場所に移したと記されています。現在の祖師堂は享保14年 (1729) の建立とされています。当寺の日蓮像に聖人自らが鬚を植え付けたといわれ、別名「ひげのお祖師様」と呼ばれ人々から親しまれてきました。 【 多古町名所百選 】
松井天山が昭和8年11月に多古町を描いたものです。
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