東金の歴史

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No 時代 年月日表記 西暦年月日 できごと 出典 関連 備考
1 大同二年 807 最澄、安国山最福寺をたて、その嶺頂に山王大権現(日吉神社)建立すという(開拓)(市史五)(百科)
干支】: 丁亥
2 大同四年 809 大同年間、新宿の浅間神社たつ(町誌)(天正年間にもあり)
干支】: 己丑
3 承平五年 935 田間に平良兼により大六天建立さる(現在の田間神社)(市史五)(一五〇九年にもあり)
干支】: 乙未
4 天慶元年 938 天慶年間、御門村(東金市)に妙善寺・水神社たつ(市史五)平将門は政務所をつくったという(山武郡誌)
干支】: 戊戌
5 天慶八年 945 上総国誌によると、田中の鹿渡神社鎮座されたというが未詳と記されている(市史五)
干支】: 乙巳
6 長保三年5月 1001/5 大多喜城主薄井貞景、新宿に五十瀬神社(旧名神明宮)を建立(山武)(沿革考)
干支】: 辛丑
7 長保三年 1001 東金神明宮創建、大滝城主薄井遠江守貞景之を祀りて御田一六石を奉るという(開拓)(市史五)
干支】: 辛丑
8 仁安元年 1166 (仁安年間、山辺郡鴇ケ根城に千葉介氏族居住すという)(開拓)
干支】: 丙戌
9 安元元年 1175 (安元年間、東金新宿、市街地となる 草創は一四屋敷に分割、杉谷弥左衛門庄屋となる)(開拓)
干支】: 乙未
10 治承四年 1180 源頼朝、安房より上総に渡り、鳴浜白幡の八幡神社に参詣すと里伝に存す(鶴)
干支】: 庚子
11 治承四年 1180 (治承年間、上総介広常、頼朝に属し、夷隅、庁南、庁北、武射、山辺の兵を集めるという)(開拓)
干支】: 庚子
12 文治二年 1186 西行法師、山田坂東谷に山城国貴船神社の分身を安置して、貴船神社をつくる(市史五)
干支】: 丙午
13 建久四年 1193 鴇ケ根は千葉氏属将の支配下に入る
干支】: 癸丑
14 建仁元年 1201 (建仁年間、貴船神社は土気大椎城の鬼門鎮護の神として崇敬をあつめる)
干支】: 辛酉
15 元久元年 1204 (畠山氏、大関城を依古島に築くという)(山武)
干支】: 甲子
16 建長元年 1249 北条長時、房総三州の守護職となる(吾妻鏡)長時久我城を築くという(一二五一年にもあり)
干支】: 己酉
17 建長三年 1251 (長時、建長年間に久我城を築き、願成就寺を建立するという)(公)
干支】: 辛亥
18 康元元年11月 1256/11 北条長時、執権となる(日本)
干支】: 丙辰
19 文永元年8月 1264/8 北条長時没す三五歳(日本)
干支】: 甲子
20 弘安元年1月20日 1278/1/20 大沼田妙経寺文書に、一之袋水神社、妙経寺日寿によって建つとあり(市史五)
干支】: 戊寅
21 弘安三年5月29日 1280/5/29 平久時、本漸寺に梵鐘を寄進(市史五)
干支】: 庚辰
22 弘安三年5月 1280/5 久我城主北条久時により松之助願成就寺たつ(市史五)(別説に一二九五年説あり)
干支】: 庚辰
23 弘安七年 1284 弘安年間、願成地に若宮八幡神社創建されるという(市史五)
干支】: 甲申
24 弘安一〇年10月1日 1287/10/1 東金の人、僧日向身延山第二世となる茂原藻原寺の創建者(稿本)日向は一二歳で日蓮の弟子となり、佐渡から身延まで生涯随従した(百科)
干支】: 丁亥
25 正応元年10月 1288/10 僧天目の草創になる常在山妙徳寺、北之幸谷にできる(市史五)
干支】: 戊子
26 正応二年3月 1289/3 北条久時、日弁上人をして久我台上に高福山上行寺を建てる また久時八阪神社(旧名祇園・顕王祠)を建てる(山武郡誌)(市史五)(上行寺)
干支】: 己丑
27 正応二年 1289 松之郷井戸谷に、日吉神社が創建されるという(市史五)
干支】: 己丑
28 正応二年 1289 丹尾の八幡神社創建されるという(市史五)
干支】: 己丑
29 正応二年 1289 久我台より現在地に八坂神社を遷座(市史五)
干支】: 己丑
30 永仁三年 1295 久時(北条)願成就寺を禅宗より日蓮宗に改宗させる(市史五)
干支】: 乙未
31 永仁三年 1295 日弁上人奥州弘通の旅に出る(上行寺)
干支】: 乙未
32 正安二年 1300 大沼田字上ノ原に皇産霊神社たつ(市史五)
干支】: 癸辰
33 嘉元元年 1303 日弁上人家之子に妙宣寺建立に関わるという(上行寺)
干支】: 癸卯
34 徳治二年 1307 千葉胤宗の時、東金越中成東市正とする 成毛伊賀これをうつ北条久時死す
干支】: 丁未
35 徳治二年 1307 徳治年中、油井の皇産霊神社建立という(市史五)
干支】: 丁未
36 応長元年6月26日 1311/6/26 上行寺(田間)開基日弁上人没す 年七三歳(明細)(上行寺)
干支】: 辛亥
37 応長元年 1311 日弁奥州にて6月26日卒す(上行寺)
干支】: 辛亥
38 正和二年 1313 正和年中、松之郷浅間神社建立と伝えられる(市史五)
干支】: 癸丑
39 正中二年 1325 蓮秀日寿の開基で大沼田に妙経寺たつ(市史五)
干支】: 乙丑
40 嘉暦元年4月 1326/4 北条守時、執権金沢貞顕のあとをうけ、執権となる(日本)
干支】: 丙寅
41 嘉暦元年9月17日 1326/9/17 妙経寺開基日寿入寂(市史五)
干支】: 丙寅
42 嘉暦元年 1326 寺伝によれば、僧円性房、山口に福相寺をひらく(山武郡誌)(市史五)
干支】: 丙寅
43 元弘三(正慶二)年5月22日 1333/5/22 上行寺大旦那北条守時、鎌倉にて自殺(日本)(上行寺)
干支】: 癸酉
44 元弘三(正慶二)年 1333 久我城、廃城となる(上行寺)
干支】: 癸酉
45 元弘三(正慶二)年 1333 中峠の五十瀬神社建立と伝えられる(市史五)
干支】: 癸酉
46 延元二(建武四)年 1337 護良親王姫君、姫島より家之子にうつり、惣社八宮(八幡神社)をつくる(山武郡誌)(市史五)
干支】: 丁丑
47 延元三(暦応元)年 1338 足利尊氏、家之子湯坂その他を合せて三六〇〇石を妃に与え、湯沐の邑とし、尼御所とした(山武郡誌)
干支】: 戊寅
48 興国二(暦応四)年 1341 一安比丘尼により山口に海潮寺たつ(市史五)
干支】: 辛巳
49 興国四(康永二)年9月 1343/9 護良親王姫、家之子に海岸寺を建てる
干支】: 癸未
50 正平一二(延文二)年 1357 護良親王姫家之子に逝去墳墓を東方山頂に作る 姫塚という これ姫島の由来(伝承)
干支】: 丁酉
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