房総の歴史

/ 37ページ
No 時代 年月日表記 西暦年月日 できごと 出典 関連 備考
1 (景行)四〇年10月 110/10 日本武尊、東夷を征服せんとして相模より上総にわたる(稿本)
干支】: 庚戌
2 (景行)四一年5月5日 111/5/5 大所神社が市川にたてられた(稿本)
干支】: 辛亥
3 (景行)四二年 112 日本武尊、本納の橘神社を創建する(稿本)
干支】: 壬子
4 (景行)四三年 113 日本武尊、東夷征服を終り、帰途伊勢国、能褒野で没す(稿本)
干支】: 癸丑
5 (景行)五三年10月 123/10 天皇、上総に到着(稿本)
干支】: 癸亥
6 (景行)五三年 123 天皇、日本武尊の遺跡を巡狩しようとして一〇月淡水門を出て、下総・葛飾、常陸をへて都に帰る(稿本)
干支】: 癸亥
7 (成務)五年2月 135/2 総の国に、須恵、馬来田、伊甚、上海上、菊間、武社、阿波の七国造をおく(稿本)
干支】: 乙亥
8 (神功)元年 201 印波の国造、下海上の国造を定める(稿本)
干支】: 辛巳
9 (応神)一六年 285 下海上、印波、両国造をおく 長狭国造、千葉国造は建置の時代不明(稿本)
干支】: 乙巳
10 大化元年8月 645/8 上総国府を市原郡能満に、下総国府を国府台におく 上総は大国で守介大椽大目少目の司を置く(稿本)
干支】: 乙巳
11 大化元年 645 上総の国の国府は市原字能満にあり、その先「也未乃倍郡」という(開拓)
干支】: 乙巳
12 天武二年 673 銚子市飯沼円福寺開基(百科)
干支】: 癸酉
13 文武二年 698 下総に大風あり、盧舎を倒す(稿本)(百科)
干支】: 戊戌
14 大宝元年 701 大宝令により、房総の地に五軍団をおく(平群、市原、葛飾等(稿本)(百科)
干支】: 辛丑
15 慶雲元年7月3日 704/7/3 下総国守から天皇に白馬を献じた(稿本)(百科)
干支】: 甲辰
16 和同三年 710 平城宮出土木簡により上総国に安房郡が含まれ、七時代があったことがわかる(百科)
干支】: 庚戌
17 霊亀元年5月30日 715/5/30 上総他五か国の農民一〇〇〇戸を、陸奥開拓のため移住させる(稿本)(百科)
干支】: 乙卯
18 霊亀二年5月16日 716/5/16 上総他六か国の高麗人一七九九人を武蔵国に移し、高麗郡をおく(百科)
干支】: 丙辰
19 養老二年5月2日 718/5/2 上総の平群、安房、朝夷、長狭四郡を安房国とした(百科)
干支】: 戊午
20 養老三年7月 719/7 常陸の国守正五位上藤原朝臣宇合、安房・上総・下総三国を管轄する
干支】: 己未
21 神亀元年 724 配流の遠近を定め、伊豆、安房、常陸、佐渡、隠岐、土佐の六か国をもって遠流の地とする(百科)
干支】: 甲子
22 天平八年 736 諸国調布の規定を改める。上総は望陀の細貲(きよみ)、安房は細布及び〓を出す(百科)
干支】: 丙子
23 天平九年 737 上総下総等六か国の騎兵一〇〇〇名、山海両道を開く(百科)(稿本)
干支】: 丁丑
24 天平九年 737 行基が真間山の山麓、に手児奈の霊をなぐさめる為寺をたてる(百科)
干支】: 丁丑
25 天平一三年12月 741/12 安房国を上総国に合併する(稿本)
干支】: 辛巳
26 天平一三年 741 諸国に国分寺建つ、安房国分市原総社、葛飾国府に国分寺建設(稿本)(百科)
干支】: 辛巳
27 天平一八年 746 下総地方旱魃、いなごの害ひどし(稿本)(百科)
干支】: 丙戌
28 天平一八年 746 百済敬福、上総国の守に任ぜらる(市原)
干支】: 丙戌
29 天平勝宝七年2月9日 755/2/9 長狭郡の上丁丈部与呂麿らが出征に際し、和歌を大伴家持に贈った。その中一三首は万葉集巻二〇にある(稿本)(百科)
干支】: 乙未
30 天平宝字元年5月8日 757/5/8 安房国再び分立する(稿本)
干支】: 丁酉
31 天平宝字元年8月22日 757/8/22 千葉の大日寺が建立される(稿本)(百科)
干支】: 丁酉
32 天平宝字三年 759 万葉集に上総国人の歌一九首、下総国人の歌二〇首がのる(稿本)
干支】: 己亥
33 天平神護元年 765 下総国等六か国の干害ひどく、被害調査により七割くらいと判明(稿本)(百科)
干支】: 乙巳
34 神護景雲三年3月19日 769/3/19 下総地方飢饉に対し、朝廷から大量の救恤品下賜される(稿本)(百科)
干支】: 己酉
35 宝亀二年2月 771/2 全国の神社が大社、中社、小社にわけられた伊勢大神宮、豊受宮を除いて神宮は香取、鹿島であった(百科)
干支】: 辛亥
36 宝亀七年7月14日 776/7/14 安房、上総、下総、常陸四か国に命じて船五〇隻を建造させる(百科)
干支】: 丙辰
37 宝亀八年5月25日 777/5/25 下総等五か国より、甲二〇〇領を出羽の鎮戍府に送らせる(稿本)(百科)
干支】: 丁巳
38 宝亀一一年7月22日 780/7/22 奥州征軍の兵糧として下総国に六〇〇〇斗の供出命令が下る(稿本)(百科)
干支】: 庚申
39 宝亀一一年 780 天応山観音寺(仁王尊)芝山に立つ(市史五)
干支】: 庚申
40 天応元年2月30日 781/2/30 上総、下総、安房、相模、武蔵、常陸などの国々、陸奥の軍所に一〇万石を漕送命ぜられる(百科)(稿本)
干支】: 辛酉
41 天応元年8月 781/8 藤原継縄が上総国芝山に観音寺を創建するという(稿本)(百科)
干支】: 辛酉
42 延暦三年 784 笠森寺建立(最澄)(稿本)(百科)
干支】: 甲子
43 延暦一五年11月21日 796/11/21 上総国など八か国の人民九〇〇〇人を陸奥国伊治城に遷す(稿本)(百科)
干支】: 丙子
44 延暦一七年 798 上総国長南に、三途台長福寿寺創立(稿本)
干支】: 戊寅
45 延暦二一年1月11日 802/1/11 上総、下総等十か国より四〇〇〇人を胆沢城に配置させる(百科)
干支】: 壬午
46 延暦二三年 804 上総、下総等の国に命じ、糒(ホシイイ)一四三一五石、米九六八五石を陸奥国中山柵に運び蝦夷を征伐させる(稿本)(百科)
干支】: 甲申
47 大同四年7月24日 809/7/24 下横地村(現成東町)に円頓寺建つ(空海)(稿本)(百科)
干支】: 己丑
48 弘仁元年7月 810/7 従五位下大野真澄、下総守となる(百科)
干支】: 庚寅
49 弘仁元年8月 810/8 従五位下佐伯宿弥長継、下総介兼務となる(百科)
干支】: 庚寅
50 弘仁一〇年 819 弘法大師真間山上に手児奈の堂を移す 後天慶五年天台宗に改められ、弘法寺と名づけられた(百科)
干支】: 己亥
/ 37ページ