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仁賀保
金浦
象潟
仁賀保
仁賀保勤労青少年ホーム
図書室や音楽ホール、トレーニングルームなどが設置された総合的文化施設です。斎藤宇一郎氏の記念館が併設され、デジタルミュージアムに所蔵資料の一部が掲載されています。
フェライト子ども科学館
フェライト産業の育ての親にあたる齋藤憲三氏の生誕100年を記念して建設された施設です。
さまざまな展示や研究工房を通して子どもたちが科学を体験できます。
TDK歴史みらい館
齋藤憲三氏によって創立されたTDK(当初の社名は東京電気化学工業株式会社)の創業70周年記念事業として建設された施設です。
TDKの製品・技術のこれまでとこれからを映像や展示を通して体感できます。
恵比寿森の方角石
方角石は方位が刻まれた石で、港近くの小高い丘(日和山)に設置され、北前船等の出港の際に風向きを確認するものです。この方角石は北前船が寄港した三森湊の近くの恵比寿森にあったものですが、現在は仁賀保勤労青少年ホームに展示しています。市指定文化財。
方角石(三森)
かつて北前船が寄港した三森湊の近くにある三王森にある方角石です。
方角石(画書面)
かつて北前船が寄港した平沢湊の近くの丁刃森にある方角石です。県指定文化財。
飛良泉本舗
かつて北前船が寄港した平沢湊の近くにある蔵元です。室町時代の長享元年(1487)創業で、日本で3番目に古いといわれていますが、当時は廻船問屋を営み、酒造を副業としていました。飛良泉本舗には当時の廻船問屋の取引状況を伝える貴重な資料が遺っています。
髙昌寺弁天丸
高昌寺の弁天丸は北前船の模型で、文政年間に三森の高昌寺住職が秋田佐竹藩の御用船を救助したために、お礼として藩から贈られたものです。その後火災で焼失し、明治に再建造されたのが現在の弁天丸です。市指定文化財。
弁天祭り
弁天祭りは、高昌寺弁天丸を御神輿にして、三森集落内を練り歩き、海上安全を祈願する祭りで、毎年7月の第一土曜日に行われています。
TDKにかほ工場北サイト
TDKにかほ工場南サイト
TDK鳥海工場
齋藤憲三銅像
仁賀保勤労青少年ホーム前
齋藤憲三銅像
TDK歴史みらい館隣接
齋藤宇一郎銅像
仁賀保公園内
山根舘跡
1458年(応仁2年)から1602年(慶長7年)まで仁賀保氏が居城した跡。主郭には礎石・石畳が復原されています。秋田県指定史跡
鳥海山の山体崩壊
紀元前466年、鳥海山が突然崩れ、大規模な岩なだれが発生した。土砂や岩が海まで押し流され、その結果、平らな土地に小さな丘が点在する地形が形成された。この地域はやがて潟湖となり、小丘は「九十九島」として潟に浮かぶ美しい島々となった。
沖ノ島方角石
北前船が寄港した金浦港の沖の島にある方角石でです。県指定文化財。
山王島日吉大権現の山王鳥居と山王猿像
北前船が寄港した金浦湊内の日枝神社にある山王鳥居は金浦の廻船問屋・中津七左衛門が江戸期に寄贈したもので、その後方のニ猿像は北前船の船頭を務め士分に取り立てられた井口清四郎が奉献したものです。
大竹集落_由利南部海岸図
由利本荘市西目町海士剝から金浦赤石まで描かれた海岸図です。19世紀前半から半ばにかけて製作されたもので、当時の金浦湊、三森湊、平沢湊の様子を見ることができます。県指定文化財。
日本南極探検隊長白瀬矗君偉功碑
昭和9年9月5日白瀬矗の郷里金浦の沖ノ島公園に金浦文化協会が建立。当時の拓務大臣永井柳太郎による揮毫。
浄蓮寺
白瀬矗の生地
白瀬矗銅像
浄蓮寺境内
白瀬南極探検隊記念館
日本で初めての南極観測隊を率いた、にかほ市金浦出身の白瀬矗(しらせのぶ)とその隊員の足跡を伝える施設です。南極の氷山や探検隊を表現して黒川紀章氏によりデザインされた建物が特徴的です。
鳥海山の山体崩壊
紀元前466年、鳥海山が突然崩れ、大規模な岩なだれが発生した。土砂や岩が海まで押し流され、その結果、平らな土地に小さな丘が点在する地形が形成された。この地域はやがて潟湖となり、小丘は「九十九島」として潟に浮かぶ美しい島々となった。
象潟郷土資料館
地震による隆起前の象潟を描いた「象潟図屏風」をはじめ、2500年前の山体崩壊で地中に埋没した「埋もれ木」や、松尾芭蕉『おくのほそ道』関係の資料を常設で紹介しています。また、にかほ市象潟町出身の木版画家・池田修三の郷愁あふれる作品を毎年テーマを替えて展示しています。
アイヌの衣装
象潟地域には、北前船の乗組員や蝦夷地に渡った人々が運んだアットウシやチカルカルぺなどの民俗衣装が多く遺っています。特に防水に優れたアットウシは北前船の乗組員に重宝されました。
四爪碇
北前船に積まれていた鉄製の碇で、四本の爪があることから「四爪碇」(よつめいかり)と呼ばれています。人力で上げ下げするため1頭の重さは限られ、一艘に何頭も積んでいました。
戸隠神社_永久丸の船絵馬
船絵馬は航海安全を祈願して船主や船乗りが神社に奉納したものです。戸隠神社には秋田県最古の安永9年(1780)に奉納された「永久丸」の船絵馬があります。
戸隠神社_塩越湊周辺の船絵馬群
北前船が寄港した塩越湊の周辺には16の神社があり、全部で約130点の船絵馬が遺っています。
沖の棒杭
塩越湊沖で北前船を繋いだ石製の棒杭です。近年、折損して沖に沈んでいたものを引き上げ、海水浴場に設置して再現しています。
金刀比羅神社_まげ絵馬
航海中にシケに遭った場合、北前船の乗組員は自分の髷を切って安全を祈願する風習があり、無事帰港した場合は感謝を込めて切った髷を神社に奉納しました。それを「まげ絵馬」といい、塩越湊の近くにある金刀比羅神社に遺っています。
蚶満寺
平安時代以来の古刹と伝えられ、潟湖に浮かぶ九十九島の1つとして数多くの文化人が訪れた。松尾芭蕉も「奥の細道」の道中で立ち寄っています。
TDK稲倉工場西サイト
TDK稲倉工場東サイト
鳥海山の山体崩壊
紀元前466年、鳥海山が突然崩れ、大規模な岩なだれが発生した。土砂や岩が海まで押し流され、その結果、平らな土地に小さな丘が点在する地形が形成された。この地域はやがて潟湖となり、小丘は「九十九島」として潟に浮かぶ美しい島々となった。
九十九島と天然記念物象潟
象潟はかつて百前後の島を浮かべた入り江であった。平安時代から和歌に詠まれてきた名所で、松尾芭蕉の「おくのほそ道」の目的地の一つであった。象潟は文化元年(1804)の地震で隆起し、現在島々は水田の中に点在している。