創建年代は定かではありませんが、天暦6年(952)の多摩川洪水の際、中州に流れ着いた大日如来の木像を村民が奉斎して、(下流の)大神の浄土に一堂を建立(浄土寺とも)したことに始まるといわれます。
その後、滝山城築城(16世紀初期)の折に鬼門除として、拝島に移され、北条氏の重臣であった石川土佐守の篤信によりお堂(拝島山密厳浄土寺)が再建され、また、大日八坊も建立されたといわれます。
江戸時代には幕府から御朱印地[注1]10石を賜り、近隣有数の格式を保持していました。密厳浄土寺の寺号は江戸時代中頃には消滅し、八坊のひとつ普明寺が別当として、その護持に当たっています。
大日堂の棟札によると、現在の大日堂は享保17年(1732)に大再興がなされた時の建物で、この時に石段上の現在地に移されたようです。
本堂は間口14.7m、奥行は13.7mあり、規模が雄大で、古式豊かな建造物です。平成13年度から4年をかけて、本堂と仁王門の大修理を行い、現在に至っています。
大日堂の東には薬師堂、明王院(大日八坊のひとつで1990年再建)、鐘楼が並び、石段下の境内に仁王門があります。
[注1] 御朱印地 …… 将軍の朱印状によって年貢・課役の免除を保証された寺社領。