福厳寺の境外仏堂で通称「観音堂」。古くは阿弥陀堂と称したとも言われますが、由来や創建年代は不詳です。
三間四方の現本堂は、地元の豪商中野久次郎の寄進により文化2年(1805)に建立されたもので、堂内には古い阿弥陀如来像が安置されています。
近代に入り、明治35年(1902)から昭和初期にかけては当時の中神村外七ヶ村組合村[注1]の役場が置かれました。
境内の一角には昭和初期と思われるコンクリート製の道標があります。一部が欠けていますが、「南 築地渡」の文字が読み取れます。当時の青年団が建立したもので、別の場所から移設されたようです。
[注1] 中神村外七ヶ村組合村 …… 明治22年(1889)の市制・町村制施行で市域の9ヶ村は大神村外八ヶ村組合村をつくっていた。明治35年(1902)に拝島村が独立し、残った8ヶ村で結成した組合村をいう。