拝島駅北口から2分ほど、江戸時代から「熊川下ノ橋」とも呼ばれた橋があった場所です。現在の名前「日光橋」は「日光街道」に由来します。日光街道は今の横田基地の中を北上し、箱根ヶ崎(現瑞穂町)に向かっていました。
現在の橋は昭和25年(1950)に完成したコンクリート橋で、玉川上水にふさわしい趣きがあります。この橋は明治24年(1891)に東京府や神奈川県の補助、拝島村の寄付などで架けられた煉瓦橋のアーチ部分がほぼそのまま使われており、「国内に現存する最古の道路レンガアーチ橋」といわれます。
古くは、この橋と南にあった踏切[注1]を路線バスも通りましたが、国道16号「武蔵野橋」が出来ると、踏切は廃止されました。
[注1] 踏切 …… 日光街道踏切。青梅鉄道時代から踏切番がいた有人踏切。五日市鉄道や八高線の開業で距離の長い踏切となった。