綾川町は、香川県のほぼ中央に位置し、町のまん中を流れる「綾川」の流域を中心に古くから栄えてきました。
いまも町内あちこちに多くの文化財が見られます。
今回、それらの貴重な文化財を多くのみなさまにご紹介するとともに後世に伝えるべくデジタル化に着手いたしました。
今後も順次、デジタル化を行い公開していまいります。
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羽床地区の年中行事・民話・伝説・寺社のいわれ、地名のおこりがまとめられています。
この資料は羽床婦人会によって、地元の伝統文化を子どもたちに伝え残すために作成されました。
豊かな自然と温暖な気候に恵まれ、古くから開かれた郷土であった旧・綾上町。
この資料では、文化遺産の写真を主体に由来や沿革等が紹介されています。
夏祭りに歌い踊っている「滝宮ばやし」の歌詞の中には、滝宮の人物や歴史、文化、自然などがまとめられています。
この読本は子どもたちに滝宮の歴史を伝えるために作られました。
香川県は古来からたびたび「水」不足に悩まされてきました。
今も町内には、その対策として作られた多くのため池が残っています。
「大谷池」もその一つで、本資料から村と村との「水」争いの模様、地震によるため池の決壊など「水」をめぐる当時の生活の一端が伺われます。 翻刻文を読む
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明治期に描かれた「龍燈院」の絵図。「龍燈院」の起源は古く和同二年(709年)、行基菩薩が滝宮の綾川に霊を感じて祠(ほこら)を作ったのが始まりと伝えられます。
敷地内に「菅原道真公」(886年~890年の4年間、讃岐国司として赴任)の別邸が営まられた時代もあったと伝えられます。
明治6年に発生した「西讃暴動」の際、全焼し、その後再建されず現在に至っています。
絵図には中央に「龍燈院」左右に「滝宮神社」「滝宮天満宮」が描かれ往時の姿が垣間見られます。
滝宮天満宮の由緒を万治三年(1660年)に描いたもので、幅30センチメートル・長さ5.5メートルの巻物となっています。町指定有形文化財。
「滝宮天満宮」は、「菅原道真公」が讃岐国司として赴任されていた際、別邸があったとされる地に天歴二年(948年)に道真公の霊を慰めるため創建されたと伝えられます。
この制札は慶安元年(1648年)、高松藩初代藩主松平頼重が「滝宮念仏踊は貴重な神事なれば、厚き尊敬と充分な保護が大切である」として立てたと伝えられています。町指定有形文化財。
※「滝宮の念仏踊」は、国指定重要無形民俗文化財。
文字が消え文面の解読は難しくなっておりますが、内容は「滝宮念仏踊制札A」と同じで「滝宮天満宮」内の2ヵ所に立てられたものと考えられます。町指定有形文化財。
※高精細画像では文字の判読用に特殊な撮影をした画像も見られます。