解題・説明
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標題の「亀郭城」は松山城の別名。城山を甲羅、堀之内を頭、東雲神社周辺を尾に見立てると亀に見えることから、その別名が付いたといわれる。城山を中心に、本丸、二の丸、三の丸、北の郭、東の郭を描いた絵図で、三の丸や城山縁辺部の武家屋敷の区画が示されている。また、東側には外堀の砂土手や念斎堀・薬研堀も描かれている。黄色に塗られている土地は、松山藩が直接管理している土地で、天守がある本丸、二の丸、三の丸、北の郭、東の郭に加え、堀之内にある会所、勘定所、小普請所、御用米蔵が該当する。櫓などの建物の輪郭が赤色、武家屋敷が灰色、土手が緑色、堀や井戸などが薄青色で示されている。石垣の長さ、堀幅、藩関係の主要な敷地の広さが記され、二の丸の大井戸(溜池)、三の丸の御殿北側にあった庭園の池までも描かれた詳細な絵図である。端書に「曲尺壱歩弐間之積」とあることから、本図は実測結果にもとにした分間絵図で、縮尺は約1200分の1になる。「當時御有姿之上舊記之趣書加」とは、測量により当時の松山城の姿をありのままに示した上に、旧記の記述を書き加えたと理解できる。最後に、野沢隼人の名前と花押が据えられている。野沢は松山藩の軍学者であり、実測図に独自の解釈を加えて作られた絵図といえる。
(伊予史談会:井上淳)
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