解題・説明
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絵図の題箋に「幕末時代宇和島城下地図」と記されている。城郭、家中町(武家屋敷)、足軽町、寺院などが図示され、城下を取り囲むように辰野川、神田川が流れており、これらの川が外堀の役目を果たしていたことがわかる。二辺は海に面していた城郭も、海側の新田開発がさらに進んだことで、周辺環境は大きく変化している。住吉山の麓の海岸部には藩船を接岸する「御揚場」とともに、「御台場」の文字が見える。これは宇和島藩が安政2(1855)年に完成させた西洋式の樺崎砲台であるが、慶応2(1866)年に宇和島に来航したイギリス軍艦に搭乗していたアーネスト・サトウは、「湾の両側には小さな砲台があったが、それは実際の防禦よりも、むしろ見せかけのものであった」と書き残している。
(伊予史談会:井上淳)
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