解題・説明
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江戸徳川時代の大坂城を描いた絵図。石垣の長さや井戸の位置、城代屋敷・定番屋敷・大番衆小屋・加番小屋・御蔵屋敷の配置などが示されている。大坂城二の丸内で、「追手口」(大手口)の北側にあった大坂城代の上屋敷には、「阿部備中守屋敷」と記されている。阿部備中守とは寛永3(1626)年に大坂城代となった阿部正次のことで、正次は大坂城を守る責任者の筆頭として、幕府の西国支配の確立に尽力し、正保4(1647)年に亡くなるまで、大坂城代で在り続けた。京橋口側の定番屋敷は「高木主水屋敷」、玉造口側は「稲垣摂津守屋敷」と記されている。高木主水は元和9(1623)から寛永7年にかけて定番であった高木正次、稲垣摂津守は元和9年に大坂定番となった稲垣定綱で、定綱も後に大坂城代を引き継いでいる。大坂城代と大坂定番の記載から、本絵図は寛永年間の大坂城を描いた絵図と判断できる。
(伊予史談会:井上淳)
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