食べる
約五,〇〇〇~六,〇〇〇年前の恵庭は、現在よりも年平均気温は二℃高く、海面三~五mも高くなりました。これを「縄文海進(じょうもんかいしん)」とよんでいます。この時期には、現在の千歳市の美々あたりまで海がせまり、恵庭は現在よりもはるかに海に近かったと考えられます。また本州北部と同じようなコナラ(ドングリの一種)・クルミ・クリなどの落葉広葉樹林が周辺に広がっていました。
約五,〇〇〇~六,〇〇〇年前の恵庭は、現在よりも年平均気温は二℃高く、海面三~五mも高くなりました。これを「縄文海進(じょうもんかいしん)」とよんでいます。この時期には、現在の千歳市の美々あたりまで海がせまり、恵庭は現在よりもはるかに海に近かったと考えられます。また本州北部と同じようなコナラ(ドングリの一種)・クルミ・クリなどの落葉広葉樹林が周辺に広がっていました。
恵庭の縄文人が何を食べていたかは、正確にはわかりません。しかし、このような自然環境や他の貝塚からの出土品を参考にすると、クリ・ドングリ類・クルミ・トチなどの木の実を採集し、鹿や鳥などを狩り、川に上がるサケ・マスを捕まえ、おそらく海の幸も手に入れていたでしょう。それらを食糧としていた証拠としては、恵庭の遺跡から鹿猟に使われた落とし穴の跡や、サケ・マス漁のおもりに使われた石錘が出土しています。すり石は、あく抜きが必要なドングリを粉にするなどのために使われました。
サケ漁に使われたと思われる石錘(せきすい)(石のおもり) |
すり石 |
用途不明のオロシガネ状製品(ユカンボシE8遺跡) |
住む
恵庭の遺跡からは、たくさんの住居跡が見つかっています。縄文時代の住居は、地面を掘りくぼめ、四~六本の柱を立て、ヨシやススキなどでふいていました。住居のなかには貯蔵用の穴が掘られ、中央には暖をとったり料理をするための炉がありました。恵庭のユカンボシE3遺跡からは、直径七〇cmの柱を持つ、推定一三m×一二mの大型の住居も発掘されています。このような巨大な竪穴式住居は、共同の作業場や集会場のようなものに使われていたと想像もできます。
竪穴住居の発掘現場(カリンバ2遺跡) |
飾る
現代人のネックレスやイヤリングのように、縄文時代の人々も、自らを飾るアクセサリーを身につけていました。恵庭の柏木B遺跡からは、漆塗りのクシが出土しています。これは縄文人が、クシを使って髪を結い、ヘアピンを刺していたことと関係があります。玉は首飾ったネックレス、恵庭のユカンボシE3遺跡から発掘されたヒスイの大珠は、胸に飾った宝石でした。また土製の耳飾りなどのアクセサリーも数多く使われています。また縄文人は入墨で顔や肌を飾ったと思われますが、その伝統は邪馬台国や古墳時代の日本、近世アイヌ民族、さらに現代にまで受けつがれています。
ヒスイ製大珠(ユカンボシE3遺跡) |
用途不明の有孔土製円盤(ユカンボシE8遺跡) |
縄文のアクセサリー「玉」(柏木B遺跡) |