粗粒玄武岩は単斜輝石と斜長石の粗粒の結晶から成るものもあるが、多くは無斑晶でサブオフィティック組織を示している。サブオフィティックというのは、輝石に多数の短ざく状斜長石が透入している時に、後者が前者の中に一部包まれている状態を指している。 粗粒玄武岩の新鮮なものは暗緑色を呈し、ち密堅硬であるが、変質を受けると緑色になる。変質を受けると普通輝石は緑泥石化し、多数の白チタン石を生じ、方解石による置換が著しくなる。
粗粒玄武岩は汐泊川層、特に硬質頁岩・頁岩部層を貫いているものが大部分を占めるが、″古生層″を貫いているものもわずかながら汐泊川支流温川の北方に見出される。幅1メートルほどのものから500メートルに達するものまである。その迸入形態は、あるものは層理を切って岩脈状に入り、またあるものは層理に平行に入って岩床状をなし、また相互に移り変わるものもあり、非常に不規則である。全体の形は丁度樹木の幹から枝が縦横に分れ出たような形を示している。
鈴木ら(1969)によると、粗粒玄武岩と汐泊川層の頁岩との接触部には、貫入に伴う裂罅(か)系のようなものは認められないこと、また多くの場合、頁岩は接触面に立って2~10センチメートルの幅で真黒な硬い珪質岩に変化していることから、粗粒玄武岩の貫入は頁岩の堆積時に行われたものと考えられている。
粗粒玄武岩には貫入方向に直角な柱状節理や、これに直交して流理面に平行な板状節理が発達している。流理面というのは、火成岩体においては成分、組織、構造、結晶度の違う部分が重なり合って、冷却時の溶岩の流動線が見られるが、このような構造を成す面のことを言っている。この柱状節理の断面形は一般に六角形を成しており、直径は40~80センチメートルである。
鈴木 長谷川(1963)によると、川汲峠からやや南に寄った道路沿いに露出する粗粒玄武岩は枕(まくら)状溶岩であり、新第3紀の枕状溶岩は非常に珍しく、北海道ではこの地域にだけしか知られていないといわれる。しかし、小樽市西方の忍路湾付近にも枕状溶岩が存在している。枕状溶岩は一名俵状溶岩とも言われ、丁度枕を積み重ねたような形をしており、玄武岩などの粘性の小さい溶岩流が、水中または沼地、湿地に流れ込んだ時に生ずる構造と考えられている。枕状溶岩の枕は、中心部に放射状の節理を持つために、車石の名で呼ばれることもあり、花咲半島の車石は有名である。