生物の分布を考察する場合に、海峡の存在が重視されるのは、陸上生物の多くは海峡によって分布が阻止されることが多いためである。特に哺乳類、は虫類、両生類などは自力で海を渡ることは不可能に近い。また鳥類でもキジ、ヤマドリ、ミミズク類など飛翔(しょう)カの弱いものにとっては、海峡は分布上の大きな障壁となる。
この点に着目して、日本列島における生物の分布について論究した最初の論文が、ブラキストンの「日本列島とアジア大陸の古代における連係を示す動物学上の徴候」(Zoological indications of ancient connection of the Japan Islands with the continent.Trans,Asia Soc.Japan,vol ⅩⅠ,PP.126~140)という報文で、日本アジア協会報告第11巻に掲載された(明治16年)。
トーマス・ライト・ブラキストン(Th.W.Blakiston)は英国陸軍砲兵大尉で、クリミア戦争に参加したこともあり、退役後は貿易商に転じ、文久3(1863)年から明治17年(16年とする説もある)まで日本に滞在、所有する商船3隻を使用して材木商をも営んだ。そのかたわら、鳥獣(はく)に趣味を持ち、自ら剥製標本を作って、米国のスミソニアン研究所、英国のブリティッシュ博物館、仏国のパリ博物館などに、しばしば寄贈していた。また、鳥類や哺乳類に関する研究論文を欧米の専門雑誌に幾度か発表もしていた。彼は、横浜と函館の間を、しばしば往復しているうちに着目していた本州と北海道の動物相の相違について、最終的に既発表の論文を整理し、いわゆる「樺太蝦夷半島説」の構想によって総括し、日本アジア協会へ前記の論文を提出したのである。
本州系のキジ、ヤマドリ、コゲラ、アオゲラ、カケス、エナガなどの鳥類およびイタチ、イノシシ、ニホンザル、ツキノワグマ、カモシカ、ヤマネ、アナグマなどの哺乳類は海峡の北に分布せず、シベリア大陸系のシマフクロウ、エゾライチョウ、クマゲラ、ヤマゲラ、シマエナガなどの鳥類およびエゾイタチ、エゾテン、シマリス、オオカミ、エゾヒグマなどの哺乳類が海峡を越えて本州に及んでいないという事実を挙げて、北海道は過去において樺太と陸続きの樺太蝦夷半島として大陸と接続し、津軽海峡をはさんで本州と対峙(じ)していた時代があった、というのがその論旨である。