北海道における旧石器の遺跡分布は、大きく2つの地域に分けられる。すなわち大雪山、十勝岳から阿寒岳周辺の道北東部山地段丘地域と、羊蹄山周辺および渡島半島尾根周辺の道南西部山地段丘地域である。遺跡密度の高いのは大雪山、十勝岳と阿寒岳を結ぶ線の北側で、河川流域ごとに幾つかの地域に分かれる。置戸、訓子府、留辺蘂、北見、美幌、白滝、遠軽のほか西興部、下川などで、白滝には幾つもの遺跡がある。そのほか旭川周辺や十勝の上士幌などがあり、十勝の海岸寄りにはナウマン象が発見された忠類村がある。道南の西部には赤井川、岩内、狩太、倶知安、蘭越と寿都、樽岸、やや離れて八雲の各遺跡がある。このように北海道の旧石器遺跡分布は地域的に分かれているが、地質時代とも関連がありそうである。洪積世時代に札幌低地帯と恵庭、千歳から勇払原野を結ぶ低地が海進作用を受け、北海道が二分されたことがあるといわれているが、これによって2つの分布圏が生じ、その違いが文化圏の違いの原因にもなっており、それが石器の組み合わせと材質にも現われている。札幌低地帯を境とする地域的分布圏の共通点は、遺跡が海岸から離れた山地の段丘上にあることで、70キロメートルも内陸に入っているところもある。これら遺跡の年代は1万数千年もの昔であるため、この間に地殻変動や海進、海退などもあり、地形がかなり変化しているので、縄文時代以降の遺跡の立地条件とは全く違っている。道北東部山地段丘地帯が黒曜石の主要産地に近いため石器のほとんどが黒曜石であるのに対して、道南西部山地段丘地帯の石器は硬質頁(けつ)岩が主で、羊蹄山周辺では黒曜石製石器だけの遺跡は少ない。
石器の移り変わりは旧石器文化の移り変わりでもある。北海道においては旧石器時代の洞窟や住居址の発見例がいまだないので、旧石器人の生活変遷は明らかでない。しかし、土器や金属器がなかった時代の石器は旧石器時代人が造った素朴ではあるが一定の法則性をもったもので、その用途や製造技術から進歩の度合いがわかる。北海道旧石器時代の編年は「白滝遺跡の研究」(1963年)をまとめた白滝団体研究会の考古学、地質学、地形学、土壌学の団体研究が基になっている。