遺跡を発掘すると遺物の層が幾層にも重なっていることがある。普通土層堆積は下層から上層になるほど時代が新しくなる。幾層にも重なる遺物の層から出土する土器を整理してみると層ごとに違いがあって、石器の組合わせにも違いのあることがわかる。土器は石器よりも顕著に時代を反映させているので、そこに時代的、地域的特色があり、他の遺跡との比較によって土器の形式を設定することができる。遺物の堆積層の間には時間差を示す火山灰の介在や遺物を含まない土層がある。海岸に近い洞窟遺跡では、風波が運んだ砂の層や自然に崩落した岩盤や砂礫の層が幾層にもなって生活面と生活面との間の環境の変化が見かけられる。時間差のある生活面を調べると土器形式の違いと石器などの道具や住居の構造などに違いがある。同じ地域で共通する土器形式と異なる土器形式が発見された場合に、土器形式に時間的関係をみることができ、1遺跡で異なる土器形式が幾層にも重なっている場合、これを文化層としてとらえ、第何文化層と呼ぶことがある。土器形式は時間的尺度でもある。土器は、煮炊き用の容器でもあり、食糧などの貯蔵容器でもある。容器としては土器以外に皮製品や植物織維などによる手編みかごなども存在していたであろうが、これらは容易に残存しない。
土器の名称を命名する場合、土器形式名が用いられ、初めに発見された遺跡所在地の小字名が付けられる。例えば函館市住吉町遺跡で発見された、北海道最初の尖底土器を住吉町式土器と呼ぶなどがそれである。土器形式によって土器の製作技術、縄などの装飾文、器形などの特徴が見られる。記録や絵画が残されていない時代の文化の区分には土器形式が基になる。北海道の縄文時代における土器形式の分布を見ると、ある時期には200キロメートルから500キロメートルにわたる分布圏がある。北海道の南部から本州の東北地方に、共通の土器形式があり、石器などの形態や製作技術および土製品などの出土品にも共通し、ときには人骨の埋葬法も共通している。これらの現象は、同一民族がその地域を支配していたとも考えられるし、文化の伝播として把握することもできる。同じ時期の周辺の土器形式は同様な分布圏を形成している。これはあたかも別の文化を持った民族が周辺に住んでいたようにもみられる。民族あるいは人種の問題は、人骨が土器と同じように多く出土すれば人類学的研究によって一定の結論を打ち出すことも可能であろうが、発見例が少なく、民族とか人種問題と土器形式による文化を語ることができないのは残念なことである。