大陸との関連

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 旧石器時代の後半からシベリアなどで出土する石器が北海道でも出土するが、縄文時代になると道東北部で石刃鏃という石器が早期から前期にかけて出土する。北海道の石刃鏃は主に黒曜石製で、細長く剥離した石片で尖端部が二等辺三角形になり、鋭利な剥片の刃部を生かしてわずかに周縁を加工した特殊な石器である。これは日本で北海道にしか発見されず、シベリアでは中石器時代の遺跡から出土するが土器を伴っていない。北海道と比較的似ているのはアムール河流域からモンゴル地方で発見されるダウル型の石刃鏃である。
 縄文土器では道東北から道央や道南にまで見られる突瘤(つきこぷ)のある土器の存在が挙げられる。本州でもまれに見ることができるが、大陸にもある文様要素で、北海道では前期から中期と後期および晩期にもある。縄文文化と大陸との関連を最初に指摘したのは八幡一郎で、櫛(くし)目文文化などとの比較を行っているが、この問題については松下亘が研究している。
 大陸と関連ある遺跡で、北海道に特徴的なのはストーン・サークルである。環状石籬(り)とか環状列石と呼ばれ、忍路の三笠山のものは明治時代に知られ、東西22メートル、南北30メートルの平坦な小高い場所に高さ1メートルほどの立石が数十個環状に列(なら)んでいて、N・G・マンローは天文観測に用いたと説いたことがある。この調査は大陸との関連で駒井和愛が道南のストーン・サークルを発掘調査し、余市、音江、狩太、神居古潭などにもあることがわかった。その後、函館の日吉遺跡や南茅部町の臼尻遺跡に発見されている。類似のものでは河野広道により斜里の朱円で環状土籬が調査された。駒井の調査で北海道のストーン・サークルは墓であることが明らかになったが、秋田県でも発見され、大湯のストーン・サークルは有名である。
 ストーン・サークルはフランスやイギリスなどヨーロッパでは早くから知られ、シベリアでも発見されているので北海道とも関係があるかも知れない。日本での発見例が北海道に多く、秋田では2例しかないので、北の文化と言えよう。時代はこれまでの例ではすべて縄文時代の後期である。