弥生人との交易

281 ~ 283 / 706ページ
 函館市西桔梗B2遺跡の墳墓から出土した碧玉製管玉は、寺村光晴によって東日本弥生時代中期の細形管玉であることが明らかになった。緑色の管玉は1基の墓壙から7個発見され、いずれも径が約5ミリメートル、長さ2センチメートル前後の円柱状で中央に2ミリメートル程の小穴があけられている。2000年前の管玉によくもこのような小穴をあけたものだと感心させられるが、この技術は穴をあける箇所に砂を置き、竹ひごのようなものを当てて錐もみをしてあけたものといわれている。実験では竹ひごの代りに細く割った骨を用いてもできたが、こうした技術は文化の進んだ中国大陸から伝えられたものである。玉造り技術は古墳時代に至って一層発達し、細長い管玉から勾(まが)玉や切子玉、そろばん玉などが作られ、記録のある奈良時代の「さすだま」には緒に刺し通す意味があって丸玉や小玉のことを言った。玉造部(たまつくりべ)は専門の職業で、古代製玉所の遺跡も出雲など本州で発見されている。西桔梗の管玉は弥生時代の技術を持っているが、東北地方の管玉製作技術と共通し、玉質も同じであるので交易によって東北の弥生人から入手したものと考えなければならない。7個の出土状態が、連(れん)になっていなかったのは、副葬の際に糸を切り離したものであろう。7個は同一技術で作られたもので、連になったまま渡来した玉である。この時期の管玉は恵山でも出土しているので、装身具としてかなりの数が東北の弥生人から移入されていたことであろう。

恵山貝塚の猪牙製首飾(市立函館博物館蔵)

 北海道には交易用として熊、鹿、オットセイなどの毛皮や乾魚などの海産物があった。これらの産物のことは歴史時代になると記録に現われるが、宮城県あたりの弥生人と交流があったとすれば、これらの産物は珍重されたであろう。本州との交易があったことは、恵山式土器に伴出した猪(いのしし)の牙で作った首飾りの発見によって明確にされた。ニッポンイノシシは関東から東北地方に生息するが、津軽海峡をへだてた北海道にはいない。この牙製首飾りは湾曲した雄の牙の両端に穴をあけ、左右1対を首飾りにしたもので、1本の長さが12.5センチメートルもある見事なものである。これまでにも牙製垂飾品が何点か道南で出土しているが、いずれも短小なものである。猪が本州の縄文人に特殊な動物と考えられていたことは、岩木山麓など縄文後期の遺跡から猪の土偶がよく発見されることからもわかるが、北海道では恵山文化直前期である縄文晩期の遺跡から猪の土偶が出土しており、本州との交流は長く続いていたとみられる。
 弥生人との交流があったことは、管玉や猪牙製首飾りだけでなく、土器などにも共通点があることによっても明らかであるが、道具や装身具には北海道の特色があり、土着の人たちが物質文化の一部を交易によって得ていただけで、弥生人が北海道に渡って来て文化を築き上げたとはいえない。この時代の民族については人類学的に研究が続けられているが、貝塚などから発見される人骨はアイヌ民族的特徴を有するものであることがわかってきた。熊を土器などに飾り付ける傾向は、今のところ、全国で北海道の恵山文化のみに限られており、アイヌ民族の起源に関する一面をもっているだけに、次の江別文化とどのようなかかわりがあるかという課題が残されている。