騒乱後の商品流通

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 さてこの間、箱館・志海苔のように康正年間以来、およそ1世紀にわたる永い歳月、現地ではおそらく商品流通の道も中断されたであろう。この間アイヌ住民は、どのような経過をたどったのか、いまのところほとんど知ることが出来ない。ただ、ここで永禄8(1565)年、わが国に在留した宣教師ルイス・フロイスが、同年2月28日付をもって、インドの教父に送った書面によると、「日本の極北にて、都より約三百リーグを隔つる所に一大国あり、野獣の皮を着、全身多毛、髪髭頗る長き蛮人之に住す。……蝦夷に近きゲスエン地方に秋田という大市あり。彼等は多数此市に来りて貿易し、秋田人も亦時々蝦夷に赴く」(『新北海道史』)と報告しているが、すでに蠣崎氏が松前に進出し守護職に任じられてからでもあり、おそらくこれは蠣崎氏が年々秋田の安東氏に派遣する交易船で、そのなかには多くのアイヌ住民もいたことを物語るものであろう。