駒ヶ岳噴火

347 ~ 348 / 706ページ
 寛永17(1640)年6月13日、正午頃突然地震とともに駒ヶ岳が爆発して近海に大津波をおこし、たまたま出稼ぎに来ていた昆布取船100艘余と共に、およそ700余人のアイヌや和人を溺死させている。
 なお、駒ヶ岳の噴火の状況は、噴出が13日から15日の朝まで続いて、焼灰を降らせて闇黒の中にあり、15日辰の刻(午前8時ごろ)やや晴れたが、なお降灰はやまず、その灰は遠く越後方面にまで及ぼし、津軽地方などでは約3寸(9センチメートル)も積ったと伝えている。また、当時各所で盛んに砂金を産し、たくさんの鉱夫がこれに従事していたが、この変災におそれおののき、大挙して、亀田から津軽に逃れ渡ったと伝えられている。