寛政3(1791)年に渡来した、筑後柳川藩医淡輪(たんなわ)元朔の『東奥遊記』によれば、「画師某に逢い酒を飲み」「画師名玄竜という」「函館(ママ)の旅亭に帰り、画人玄竜の画く所の、許由巣父之図を観る」などとあるから、寛政年間に画家のいたことがわかるが、地元人か旅人か不明である。
また同書には、箱館の町年寄白鳥家の優雅な生活ぶりが散見され、「主人蔵するところの剣数十を出して示す。三条家近、信国、助国、月山、近江守貞次、米国次の作あり、甚だ珍なり」「主人、書画を出して視す」「主人余の書を請う」などとあり、町人の文化意識を知る一資料として興味深い。