生活水準

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 江戸上期における亀田を中心とする生活水準は、必ずしも高いものではなく、元禄4年の覚書にも、「支配の村々百姓、壱人も他村へ有付間敷候。惣て跡目断絶なき様申付くべく候事」とか「若当領内の百姓、親類に逢とて他国行き候はば、子細相尋ね差遣す可く候事」などとあるから、土地に定着しようとするものが少なかった。それは生活が豊かでなかったことを物語るものであろう。しかし天明のころの箱館は「此処にても諸国の商船湊に来て市をなす事、松前に等し」(『蝦夷拾遺』)といわれるようになり、かなり豊かな暮しぶりが見られる。