西蝦夷地の上知

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 この結果、松前藩には辺境を守る実力のないことが、いよいよ明白となったので、幕府は文化4年3月22日、松前章広から松前、西蝦夷地を上知させることに決し、蝦夷地全域を直轄支配するに至った。
 
       松前若狭守
蝦夷地の儀は古来より其方家にて進退いたし来り候得共、異国へ接し、島々万端の手当整え難き様子に付、先達て東蝦夷地上地仰出され、公儀より御所置仰付けられ候。西蝦夷地の儀も非常の備えなど其方手限り行届き難き段申立、外国国境容易ならざる事に思召され候間、此度松前西蝦夷地一円召上げられ候。これに依り其方へは新規九千石下され候。場所の儀は追て相達すべく候。
       文化四卯年三月二十二日