奥羽諸藩の出兵

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 出兵の命を受けた奥羽諸藩の兵は漸次に箱館に到着したが、その数は南部藩900人(ほかに定式人数250人)、津軽藩692人(ほかに定式250人)、秋田藩591人、庄内藩319人、総勢3000人と称された。当時箱船の戸数約700余戸のところへ、これだけの人数の進駐で、その混雑察するにあまりある。秋田藩は飛報に接すると、藩主佐竹右京大夫は即刻出兵の準備を整え将士に盃を賜わり、「今回の出兵は国家の大事である。再び予に対面することを思わず一意忠勤を励め、妻子は預かるから必ず安心せよ」と、行を盛んにして激励したので将士は皆感激し、翌日ただちに出発したのでもっとも評判がよかった。箱館に到着した将兵は、皆陣笠をかぶり陣羽織を着し整然と軍容を整えていたので、ようやく住民も愁眉を開いた。かくして交代のため戸川安論箱館に到着したので、6月15日正養と合議の上諸藩の部署をそれぞれ定め、箱館には南部兵342人、秋田兵591人、計933人をとどめ、別に見張りのため南部兵30人を砂原に駐屯させるなど、まさに物々しい態勢をとっている。