住民性格

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 箱館の住民は、その多くは奥羽地方からの移住者であるが、その後、北陸地方および近江地方からの移住者も漸次に加えている。享和元年幕吏福居芳磨の筆になる『東夷周覧』では、箱館を次のように誌している。
 
 此処の人物奢侈を好み生活にうとく性質惰弱なり。然れども諸国より商船出入し、諸国の産物坐ながらにして之を得、又蝦夷地産物等を以て諸国へ鬻(ひさ)ぎ、金銀の徳多き故、人心自然と奢るものとなるは人情のならはせによる。故に此所に生立たる者は、金銀自由なるに任せ微の利を事とせず、唯遊興歓楽にのみ身を持ちなす故に、富商となるもの寡し。他国より来りて生活をなすものは、財の得難きを知りて、他国に用ゆる力を此所に用ゆる故卒には富商となりて身を安くなすは、時勢の然らしむる所なり。
 此所のもの他国より来りて稼業をなすもの多しと雖も、多くは近江、能登、越後、越前、加賀、南部大抵は此国より来ると云ふ。

 
 箱館住民を極めてきびしく批判しているが、見ようによっては、当時、箱館の景況がいかに良かったかを物語るものでもある。