風俗改善の論書

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 箱館奉行は風俗の改善に意を注ぎ、文化元年箱館外9か村に制札を掲げ、「正徳の觸書」を示し、日浦の孝女を賞し、同3年鍛冶村の2孝女を賞し、また箱館および各村各場所に左の論書を発した。
 
     諭書
一 夫れ風俗は国家盛衰の基にして、風俗正しき時は其土地繁昌となり、風俗正しからざるときは其処も次第に衰ふるなり。先づ其風俗を正しくなすべきは、公儀の御法度を能く守り、上を敬ひ下をあはれみ、親子兄弟夫婦を初め諸親類にしたしく、家業怠らず、何事も偽りなく道理を弁へ、喧嘩口論惣じて人の害になる事をなさず、其分限を守り礼を正しくすべし。是人の道にして是を守る時は直なる道を行ふ故、何の苦労もなく生涯を安く楽みて送らるべし。
一 皆人富貴にして子孫の繁栄を願はざるものなし、是亦難き事にあらず、只人たる道を行ひなば自然と其処に至るなり。たとへば何程其身栄ふといふとも、人をおとしわが為のみ思ひ、欲を専らにして人の難儀をも思はず、憐みを知らざれば、天のにくみ人のそしりを受け、一生心を苦しめ、千金を積むといへども、人間の本意にあらずして必ず災難に逢ひ、又子孫も衰ふべし、是直なる道を行はざる故なり。又生涯困窮に暮すといへども、天をも怨みず人をもとがめず、唯能く道を守り生を終るもの其身卑賎たりといへども、かたじけなく尊き事なり。されば人たるものは只其心ざし第一にして、慈悲を行ふに於ては富貴貧賤の差別なき事と知るべし。賤しく軽きものたりとも、天地自然の同体の事なれば、此の理を能く弁へ、人たる道を守るべきこと肝要なり。礼義を以て風俗を制せば其もとを失はず。礼はそれ分を知るを先とす、奢もの是必す天道に叶はず、故に其身一代の幸にして災まぬかるると云ふとも、果して子孫衰ふるなり、恐るべきの甚しきなり。されば平生音信、贈答、家作、衣食等も随分倹約を用ひ、外見のみかざらず内を充実にととのへ、困窮のものへ能く施し、いかにも長く土地の繁昌する事を願ふべし。唯表向外見のみにて内実ととのはざるは浅間しき次第なり、能々真実の誠を立べし。土地栄るも衰ふるも皆平生民人の心にある事なれば、此処を能く弁へ先づ専一に奢を慎むべし。土地の賑ふに応じて、思はず家作、家財、衣類其外に至る迄、分限に過る事あるものなり。奢長ずる時は夫に随て内の備薄くなり、其身はもとより子孫の為めにならざる事明らかなり。今増長させざる内に早く奢の念を絶つべし、増長したる上は元へ返らざるものなり。別して子孫は親の行義を見習ふものなれば、子を育つるにも奢の付ざるように心得べき事なり。
一 父母に孝行を尽し、家内睦しく、慈愛の心深く、殊更老人を敬ひ大切にすべき事なり。老年に及び子もなく養ふものなきものは、上の御意みもあるべし。其外稼もならざる老人又はみなし子の類、困窮なるものは、兼ても申如く、御救ひある事なれば申出べきなり。御法度を背き、人をかたらひ、悪事をすすめ、風俗を乱し、惣じて土地人民の害に成るものは天下の罪人なり。其罪死をまぬかれず、忽ち罪科に行ふべし。是れ尤も不憫なりと雖も悪人なれば助け難し。たとへ迯かくるとも、草を分け土を穿ても召捕罪に行ふべし。悪事をなし不法をなすものは、迚も天の網をのがれざる故、たとへ即時に悪事あらはれずとも、終に天命のがるべからず、能々此旨を弁へ知るべし。今かくの如く教る事、是は教届かずして不法をなすもの必ず罪科に行はれん事を深くなげかはしく思ふ故なり。罪に行はるるに及んで後悔するとも詮なし。親族の悲嘆不憫なれども法はゆるがせになり難し。正直なるに於ては憐愍の沙汰あるべき事なり。
右之条々各心中に銘し後々迄も忘却せぎる様に致すべし。畢竟は奉行所を設けられ、御法度を立置るる事是皆民の為めなり。其民はあまねく天下の子なれば、幾重にも教訓して、よからざる者をも正路なる善人に仕立、土地も子孫も永く繁昌ならん事を思ふの外奉行の意なし。尤是迄正直真実なるものは其名を聞て悦びに堪ざるなり。
前件の趣市中は町役人、在々は村役人より、末々小前の者迄洩れざる様能々可申諭もの也。
     文化三年寅六月
                     戸川筑前守
                     羽太安芸守