前にも若干述べたが、アメリカ艦隊の来舶中、その要請によって食料および薪水等をしばしば提供し、またアメリカ側からも若干の贈物を受けている。ことに乗組員の上陸見学などは比較的自由に行われ、問題とされた要望の建物についても、ホロン、ハイネなど司画官のためには、実行寺の一部を開放して提供している。その他、湾内の測量をはじめ、あるいは沿岸に上陸し引網を行い、時には当別村へ行き、村内を歩きまわり、名主の家へあがり込んで戸棚をあけ、茶や梨などを無心して銀銭を置いていったり、亀田村から赤川村まで行って名主宅で食事をしたり、かなり気ままな振舞もあったようである。
ペリーは、はじめは彼我の折衝がうまく運ばないことに不満の意をもらしたこともあったが、しかし調査の結果、箱館港が予想以上の良港であることに満足し、特に2水兵の死に対し、礼を尽した便宜にも好感を持ち、感謝の意を表して箱館を去った。