蝦夷地の上知

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 幕府はこれらの意見書を勘定奉行などに示して、その意見を求めたところ、消極的ではあったが堀、村垣の意見に賛成し、翌安政2(1855)年正月、更に利熙、範正らは諸方面の意見を総合的に熟考したうえ、上知の必要を力説したので、幕府は同年2月23日、松前藩に達して、東部木古内村以東、西部乙部村以北、東西蝦夷地島々まで上知させ、箱館奉行に管轄させた。同年3月5日、西在および東西蝦夷地の版図を松前氏から受取り、東蝦夷地へは箱館奉行支配組頭河津祐邦、西蝦夷地および北蝦夷地へは、同向山篤を遣わして各場所を引き継がせた。