道路開削

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 陸上の交通は、東蝦夷地は前時代すでに開削が行われ、海岸沿いに人馬が通ずるようになっていたが、西海岸はそのことがなく、箱館から西蝦夷地に赴くには船により松前を迂回して行かなければならなかった。それが安政3年箱館弁天町の住民福次郎、千代田郷の住民才太郎の二2人が、共同して出願し、5年間橋銭を取ることを条件に、長万部と黒松内間の山道を開き、また箱館佐藤定右衛門(歌棄・磯谷の請負人栄五郎の父)が篤志をもって、黒松内から歌棄までの道路を付けるなど、ようやく西蝦夷地方面の道も開かれるようになった。