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 瓦の製造は、すでに弘化4(1847)年、能登国珠州郡の人金子利吉箱館に来て、茂辺地で瓦焼きを始めたが、安政4四年亀田村字船揚野に移転して良品を製造したといわれている。また陶工岩次も文久元年官金500両を借り、茂辺地村で煉瓦を製造し、のち屋根瓦も焼き、瓦1枚について銭5文の冥加をもって返納するはずであったが、その成績は不良に終ったようである。