東本願寺の桔梗野開拓

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 安政6年、箱館御坊浄玄寺役僧の世話で、東本願寺では箱館奉行に桔梗野の開拓を出願、許されて「東本願寺開発場桔梗野」(別称、六条郷安寧村)と称して開墾した。間口1,500間、奥行軍川村境に至る数里(耕地約700町歩、秣(まぐさ)場約56万8,000坪)という広大さで、能登、越後、常陸、秋田、南部、津軽、江差などから21戸が入植、農具、食糧、住居、種子、家畜など箱館御坊で補助し、鑑札を与え、指導監督のために万延元年仏堂を建てた。これが現在の桔梗の宝皇寺である。同村こそ東本願寺によって出現した村である。明治4年政府へ上地した。