百姓入

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 これが安政元(1854)年、箱館奉行は、本籍の送状のある者に限り、百姓入といってこの地の籍に入ることを許した。また同3年に至り、身元引受人があって、かつ数年間寄留した者は、同じく入籍を許し、更に同4年5月には旅人入役銭を全廃し、同年12には開墾その他、官の建築、製造などに従事するために滞在する者の越年役をも免除することになった。このような結果、箱館に居住する者はいよいよ多く、その戸口を挙げれば次の通りである。
 
年次
戸数
人口
安政3年(1856)
1,998
9,790
同 4年(1857)
2,075
10,179
4,825
5,354
元治元年(1864)
2,804
12,206
5,830
6,376
慶応元年(1865)
3,068
13,524
6,419
7,105
同 2年(1866)
3,199
13,924
6,771
7,153
同 3年(1867)
3,303
14,660
6,859
7,801

 
 この外亀田村の人口は元治元年に547人あった。
 以上は本籍者の戸数および人口であるが、これに出寄留、入寄留の者を加除した、現在戸数人口を見ると左の通りである。
 
年次
戸数
人口
本籍
出寄留
入寄留
現在
本籍
出寄留
入寄留
現在
元治元年(1864)
2,704
36
976
3,644
12,206
710
4,173
15,669
慶応元年(1865)
3,068
31
992
4,029
13,524
701
4,268
17,109
同 2年(1866)
3,198
38
989
4,195
13,924
725
4,586
17,785
同 3年(1867)
3,303
42
991
4,252
14,660
731
4,680
18,609

 
 これによって見れば、当時代の末には現在戸数は4,200を超え、現在人口は18,600余人に達していた。
 箱館付諸村の人口も増加し、元治元(1864)年の付近諸村の分は13,.606人、六箇場所の分が7,421人、合計21,027人を数え、これを嘉永3(1850)年の調査に比較すると8,124人の増加となった。その原因はもちろん移住者が多いことによるが、ことに近郊農村の開発によるところが大きかった。