広業商会の事業を軌道に乗せるために、9年10月勧商局と開拓使の間で「北海道産物売買定約」と「北海道産物売買事務取扱手続書」を定めた。これは函館における海産物貿易に官が介入してゆく手段を明確に示したものであった。定約の要旨は次のとおりである(『布類』上編)。(1)開拓使収税品中、清国向けの輸出品である昆布、煎海鼠、干鮑、鯣の4品は勧商局が全て買取る。購入価格は函館において公報する相場表によること。(2)開拓使管下人民、つまり北海道の生産者に対して産業資本金の名目で年6分の利子で資金を貸し付ける。資金は勧商局から開拓使へ融通し、返済は収穫品をもって行う。手続き一切は開拓使が管理する。(3)償還の収穫品は各産地において開拓使官吏が受領し、函館駐在の勧商局官吏あてに送付する。償還の金額の評価は(1)と同様相場表によるものとすること。(4)償還の収穫品を勧商局に販売委託する場合は手数料を控除して決済すること。
勧商局と開拓使は以上のような取り決めをして、なお手続書では収税品に関する詳細な規定あるいは資本金貸与の場合の対象とする産地を定めた。それは昆布は十勝郡他9郡、煎海鼠、干鮑、干鯣の3品は産地を特定しないで開拓使が適宜判断するとなっていた。
こうした事務を取り扱うために勧商局は10等出仕中橋和之を函館に派遣し、一方開拓使は勧商局に対する収税品の売買事務を函館支庁の管理下とした。創業の年である9年に勧商局が買い入れた収税品は昆布5000石であり、広業商会はこれらを東京方面に輸送したにとどまった。
なお税品の買い上げは定約のなかで函館の相場によると規定されていたが、函館の商人佐野専左衛門、今井栄七、水野忠兵衛、中野善兵衛の5名が起用され相場査定を行ったほか、貿易業務の円滑な運営のために公的機関による相場表の発刊が提唱されたので、翌年7月に函館支庁は仲浜町に相場会所を開設して、中野善兵衛らの海産商人を相場委員に命じて定期的に相場表を刊行させた。
さて、広業商会の函館支店は、開業後函館の貿易実態の調査を行い、東京の笠野あてに詳細な報告をした。これを受けた笠野は9年12月に昆布輸出に関する上申書を勧商局に提出した(「旧開拓使会計書類」6625・道文蔵)。笠野はそのなかで次のような方法により商権の奪回をすべきであるとしている。(1)開拓使と勧商局の協議所を函館に設置すること、(2)生産地において良質の昆布生産を行うために生産者から総代人を選び、監督にあたらあせること、(3)産業資本金貸与の償還昆布は広業商会の一括購入とすること、(4)貸与資本金は広業商会が提供して、勧商局→開拓使のルートで貸与すること、(5)漁場経営に必要な物資の一手調達、輸送を広業商会が担当すること、(6)昆布の価格の決定システムを確立すること、などであった。
上申に即して翌10年5月には「北海道産物売買定約」と「手続書」が改定された。こうして開拓使と勧商局の保護下で広業商会が清国商人や在来の函館の海産商に変わって函館における貿易-特に昆布輸出-の中枢を占めるようになるのである。