かくして、明治21年6月、函館区の当時町会所取締であった平田平五郎(後、文右衛門と改名)と、小川幸兵衛、林宇三郎の計3名によって「函館商工会設立ノ義ニ付上申」と題する申請書が二木彦七函館区長宛に提出されたのである。
この申請書の中で平田らは、函館商工会設立の目的を、次のように述べている。即ち、「北海道ノ咽喉ニシテ貨物ノ集散夥シク、月ニ繁栄ヲ増加スル」この函館区において、「当港居住ノ商業者ニシテ最モ経験アル老練家」をその構成メンバーとし、「当区各商業組合ノ事務ヲ監督奨励シ、常ニ商工業上ノ利害ヲ討究シ、或ハ其得失ヲ建議シ、或ハ官庁ノ諮問ニ答ヒ、専ラ商取引上ノ悪弊ヲ矯メテ国家ノ福利ヲ増進センコトヲ謀ラン」とするものであると。この申請書提出の後、前記の3名と常野正義、工藤弥兵衛、遠藤吉平らは岩村通俊道庁長官にも「口頭」で申請を行なっている。ところで、平田らが設立しようとした「商工会組織ノ方案」とは一体どのようなものであったのだろうか。前掲の申請書によれば、その具体的内容は次の通りである。
一 本会設立ニ就テハ、函館区長ニ於テ各商業組合及銀行、諸会社或ハ名望経験アル当区居住ノ商工業者ヲ召集シテ会議ヲ開キ、可否其決スル所ニ従フコト 二 本会設立ノ議ヲ可決シタル上ハ、更ニ委員ヲ設ケ之ニ関スル事柄ヲ取調ベ、規則ヲ起草セシムルコト 三 本会々員タルモノハ各組合及銀行、諸会社其他名望アル者ヲ選ミ、集会ノ上投票ヲ以テ議員三十名以上五十名以下ヲ公選シ、北海道庁ノ認可ヲ得テ函館区長ヨリ商工業調査ノ嘱托ヲ受クルコト 四 本会ハ北海道庁又ハ函館区役所ヘ対シ当港船舶貨物ノ出入、商業ノ状況其他必要ノ調査報告ヲ為シ、又勧業上ノ諮問ニ答フルコト 五 本会ハ各組合ノ請求ニ依リ他府県及ヒ其生産者ヘ照会シ、或ハ官庁ヘ請願スル件、又ハ商業上ヨリ紛議ヲ生スルコトアルトキハ其仲裁ニ任スルコト 六 各商業組合規約ハ新設ト否トヲ問ハス本会ノ協賛ヲ経ルニアラサレハ、官庁ノ認可ヲ得サルコト 七 各商業組合経費予算等ハ本会ノ調査ヲ経ルニアラサレハ、認可ノ手続ヲ為サゝルコト 八 本会ニ於テ商工業上取調ヲ要スル場合ニハ、各組合員其他本会関係者ハ何時ナリトモ照会ニ応シテ出席スルコト 九 会議ハ毎月一回通常会ヲ開クコト、其議題ハ前会々議ニ於テ予メ之ヲ定メ各議員ニ頒布スルコト 十 本会決議ノ事項ハ成ルヘク実地施行ヲ目的トナシ、各組合ヲシテ実行セシムルコト 十一 本会決議ノ条項ハ其都度印刷シ、各組合及関係ノ銀行、諸会社其他議員ニ頒布スルコト 十二 本会ニ要スル経費ハ本会議員ノ分頭ニ割合、其議員選出スル組合、会社、其他一個人ニ於テ負担スルコト (『函館商工会沿革誌』) |
さて、こうした機能を持つ商工会設立のための陳情活動の結果、二木区長は平田らの申請を採用し翌22年4月11日、函館区役所において市内の「重立タル商業者」32名を招集の上、創立会議が開催された。同13日、再び会議を開いて函館商工会の規則原案に若干の修正を加えた上で、同月24日、永山武四郎道庁長官宛に函館商工会の設立願書が提出された。その際の「設立願」及び「商工会規則」の全文を示せば、次のようになっている。
函館商工会設立願 本港ハ北海道咽喉ノ地ニシテ加フルニ天然ノ良港ヲ有シ商工業務上便且利ナルカ故ニ目下ノ繁盛ヲ見ルニ至リシモ眼ヲ転シテ各地貿易及工芸ノ実況ヲ視ルニ駸々トシテ日ニ月ニ隆盛ノ域ニ進歩セリ此時ニ当リ一進一退各自其意想ヲ同フスルコト能ハス姑息ノ旧慣ニ安スルカ如キコトアラハ各地同業者ト相対峙シ商工ノ権勢ヲ維持シ難カルヘクト夙トニ憂フル処ナリ依テ私共不敏ナリト雖ドモ商工ノ隆盛ヲ計リ当業者集合茲ニ商工会ナル者ヲ設立シ其利害得喪ヲ講究シ既往将来ノ統計ヲ明カニシ以テ商工実業者ノ方針トナリ専ラ該業ノ富実ヲ計リ度奉存候間御許可被成下度別紙規則書相添此段奉願候也 函館区末広町十三番地 第百十三国立銀行頭取 明治二十二年四月廿四日 杉浦嘉七 外三十九名 北海道庁長官永山武四郎殿 函館商工会規則 第一章 総則 第一条 本会ハ各商工業ノ全般ニ関係スル利害得失ヲ審議スル処トス 第二条 本会ハ函館商工会ト称シ函館町会所内ニ之ヲ設ク 第三条 本会ノ会員ハ函館区内商業工業ニ関スル銀行諸会社各商業組合并ニ商工業ニ関係アル有志ヲ以テ組織ス 第四条 銀行諸会社各組合ニ於テ重役ノ内一名乃至三名ノ会員ヲ選定シ予メ本会ヘ届ケ出ヘシ 第五条 会員ハ無任期トス銀行諸会社各組合重役改選又ハ事故アリテ其任ヲ退クカ或ハ他ニ転スルトキハ第一章第四条ニ因リ更ニ選定シテ之ニ代ラシムヘシ 第二章 役員及職務 第六条 本会ノ役員ハ左ノ如シ 会頭 一名 副会頭 一名 幹事 七名 書記 無定員 第七条 会頭ハ本会一切ノ事務ヲ総理シ副会頭ハ会頭ヲ補佐シ幹事ハ庶務ヲ幹理ス 第八条 会頭事故アリテ職務ヲ行フコト能ハサルトキハ副会頭之ヲ代理シ副会頭事故アルトキハ幹事交互投票ヲ以テ其代理者ヲ定ムヘシ 第九条 会頭副会頭幹事ノ任期ハ満一ヶ年トス 但再選スルコトヲ得 第十条 会頭副会頭幹事ハ本会員ノ投票ヲ以テ之ヲ選挙シ書記ハ会頭之ヲ選任ス 第十一条 商工業上ニ就キ臨時調査ヲ要スルトキハ本会ノ決議ヲ以テ調査委員ヲ置ク其選挙ハ会頭ノ指名ヲ以テス 第十二条 本会員ノ呈出シタル意見又ハ会員外ヨリ寄送考案或ハ諸官衙ヨリ特ニ本会ヘ諮問セラレタル事項ノ復申等ハ本会ノ会議ヲ経過スヘキモノトス 第十三条 本会ノ決議ヲ経タルモノハ総テ本会ノ意見トシ諸官衙ニ建議シ又ハ之ヲ公告スベシ 第十四条 本会ハ商業工業金融運輸等ニ関スル事項ヲ毎月調査シ毎半ヶ年ニ類別編輯シ会議其他ノ参照ニ供スルモノトス 第三章 会議 第十五条 会議ヲ分テ定会臨時会役員会ノ三種トス 第十六条 定会ハ毎年二月七月十月ノ三回トシ臨時会ハ会頭ノ招集ニ依リ役員会ハ会務上必要ノ塲合ニ於テ之ヲ開クモノトス 第十七条 会員出席ノ数総員三分ノ一ニ充タサルトキハ議事ヲ開クコトヲ得ス 第十八条 毎年二月ノ定会ニ於テ役員ヲ改選シ及前年中事務ノ成蹟経費決算ノ報告ヲ為ス十月ノ定会ニ於テハ経費ノ予算ヲ議定スルモノトス 第十九条 会議ノ時日ハ七日前ニ之ヲ会員ニ通告シ議案ヲ配付スベシ 但臨時至急ヲ要スルモノハ此限ニアラズ 第二十条 会議ノ議長ハ会頭之ニ任ス若シ事故アルトキハ副会頭之ニ代リ副会頭事故アルトキハ幹事交互投票ヲ以テ其代理者ヲ定ムヘシ 第廿一条 議事録ハ毎会之ヲ整理シ会員ニ配付スヘシ 第廿二条 会議ハ傍聴ヲ許スト雖ドモ会場ノ都合ニ依リテ之ヲ拒ムコトアルヘシ 第廿三条 議事細則ハ別ニ之ヲ定ム 第四章 経費 第廿四条 本会ノ経費ハ毎年十月ノ定会ニ於テ翌年一月ヨリ十二月迄ノ予算ヲ設ケ之ヲ議定スヘシ 第廿五条 経費課賦方法ハ別ニ細則ヲ以テ之ヲ定ム 第廿六条 諸官衙ヨリ諮問ノ事項ニ付其詳細ヲ調査スルガ為メニ要スル経費及其議事上ノ費用ハ其官衙ニ向テ之ヲ請求スヘシ 第五章 細則及改正増補 第廿七条 会務挙行上ニ付テノ細則ハ別ニ之ヲ定ム 第廿八条 本則ノ改正増補ハ定会ノ決議ヲ経タル上北海道庁長官ノ認可ヲ受クルモノトス (『函館商工会沿革誌』) |
ちなみに、これを同時期の本州府県の商工会規則と比較してみよう。例えば会員資格であるが、「郡内に在籍し又は寄留する商工業者で二十才以上の男子はすべて入会することが出来」(石川県石川郡松任町商工会、明治19年設立)、「男子丁年以上ニシテ商工業ニ経験名望アルモノハ会員タルヲ得」(同県石川郡美川商工会、明治19年設立)とあるのに対し(前掲『商工会九十二年史』)、函館の場合は区内の「商工業ニ関係アル有志」(規則第3条)としか定められておらず、会員の年令制限等は特に規定されていない点に特色がある。
明治22年5月6日付で函館商工会設立の件は、道庁長官の認可を得た。6月7日には総会を開いて役員選挙を実施し、会頭に杉浦嘉七、副会頭に園田実徳、幹事には工藤弥兵衛、遠藤吉平、和田元右衛門、林宇三郎、平出喜三郎、高橋文之助、小川幸兵衛の7人がそれぞれ当選した。さらに函館商工会の細則や議事細則、明治22年の予算なども定められ、7月6日、函館町会所において開会式が挙行された。
このようにして、函館商工会は正式に発足することとなったのであるが、まず同会の設立された明治22年から商業会議所への昇格により解散となる同29年までの間における役員・事務員の変遷をみると表6-41のようになる。初代役員の中でも、工藤、小川、平出らが、明治10年代における函館商法会議所設立運動の推進グループの一員であったことは、既に触れた。このような点からみて、明治10年代の商法会議所設立の動きと、20年代の函館商工会設立運動との間には、一定の結び付きがあったことは明らかであろう。
表6-41 函館商工会の役員・事務員の変遷
役員名称 | 明治22年 | 明治23年 | 明治24年 | 明治25年 | 明治26年 | 明治27年 | 明治28年 | 明治29年3月迄 |
会頭 | 杉浦嘉七 | 杉浦嘉七 | 常野正義 | 平出喜三郎 | 遠藤吉平 | 小川幸兵衛 | 小川幸兵衛 | 小川幸兵衛 |
副会頭 | 園田実徳 | 工藤弥兵衛 | 平出喜三郎 | 遠藤吉平 | 小川幸兵衛 | 相馬理三郎 | 林宇三郎 | 林宇三郎 |
幹事 | 工藤弥兵衛 | 平出喜三郎 | 小川幸兵衛 | 工藤弥兵衛 | 林宇三郎 | 遠藤吉平 | 相馬理三郎 | 相馬理三郎 |
幹事 | 遠藤吉平 | 遠藤吉平 | 遠藤吉平 | 平田文右衛門 | 平出喜三郎 | 林宇三郎 | 和田惟一 | 和田惟一 |
幹事 | 和田元右衛門 | 林宇三郎 | 林宇三郎 | 林宇三郎 | 和田惟- | 伊藤鋳之助 | 伊予田徳次郎 | 伊予田徳次郎 |
幹事 | 林宇三郎 | 小川幸兵衛 | 工藤弥兵衛 | 和田惟一 | 種田直右衛門 | 和田惟一 | 遠藤吉平 | 遠藤吉平 |
幹事 | 平出喜三郎 | 和田元右衛門 | 渡辺熊四郎 | 小川幸兵衛 | 石館兵右衛門 | 種田直右衛門 | 谷津菊右衝門 | 谷津菊右衝門 |
幹事 | 高橋文之助 | 高橋文之助 | 脇坂平吉 | 田中正右衝門 | 伊藤鋳之助 | 田中正右衝門 | 伊藤鋳之助 | 伊藤鋳之助 |
幹事 | 小川幸兵衛 | 渡辺熊四郎 | 和田惟一 | 種田直右衛門 | 相馬理三郎 | 伊予田徳次郎 | 納代東平 | 納代東平 |
書記 | 氏家吉郎治 | 遠藤辰次郎 | 遠藤辰次郎 | 遠藤辰次郎 | 内山例之助 | 内山例之助 | 内山例之助 | 内山例之助 |
『函館商工会沿革誌』による.
次に、この期間中における函館商工会の会員数と財政状況の推移を示せば、表6-42のようになる。なお、明治22年の予算額については、収入が864円60銭との数字も記録されている(『函館商工会沿革誌』)。まず会員数であるが、設立当初の86人を最高に、以後は同26年を唯一の例外として、次第に減少する傾向をみせている。こうした現象に対応して、財政面でもしばしばその単年度収支が赤字となったり(明治23~25年、27~28年)、また会員1人当りの年間割当経費も次第に上昇する傾向をみせている。商工会の経費は、「会員ノ人頭ニ割当テ毎年一月七月ノ両度ニ徴収スルモノトス」(函館商工会細則第9条)と定められていた。このような点からみて、函館商工会の財政基盤そのものは、必ずしも強固であったとは言い難いように思われる。
そしておそらく、これに起因する現象として、8年間の函館商工会の歴史の中で、その役員改選に際して、しばしば当選者が辞退するという事実がみられることを指摘しておきたい。明治23、24、27、28年などがその例であるが、とりわけ明治27年の場合は極端であった。2月に幹事9人の改選を行ったが、その内の2名(平出喜三郎、工藤弥兵衛)が辞退したので次点者(田中正右衛門、伊予田徳次郎)が当選した。3月に入って役員会を開き、正、副会頭を互選したところ、当選した田中会頭、遠藤吉平副会頭の両名が辞退したので、再度「正副会頭ヲ互選セシニ小川氏会頭ニ当選シ、和田氏副会頭ニ当選セリ。和田氏亦辞任セラレタルニ依リ、更ニ相馬氏副会頭ニ当選セリ」(『函館商工会沿革誌』)という経過を辿って、ようやく落着している。
以上のような商工会の運営をめぐる内部的な問題に対処するためか、明治26年5月には、「二日ヨリ十五日ニ継続シテ臨時総会ヲ開キ、本会振興ノ方策ヲ講シタレドモ実行セラレタルモノ少ナシ」(同前)という有様であった。
このように、函館商工会の活動は、次項で述べるように外見上は極めて活発であったが、その内部においては、運営面などでかなり深刻な問題を含んでいたと思われる。
表6-42 函館商工会の会員数と財政の推移
年次 | 会員数(a) | 収入(b) | (b)/(a) | 支出 | 繰越 | 備考 |
明治22 | 86人 | 円 銭 (1)46.704 | 46.70 | 0 | 5月~12月 | |
〃 22 | 86 | 261.204 | % 3.037 | 58.736 | 202.468 | 1月~12月 |
〃 23 | 79 | 318.500 | 4.032 | 389.715 | -71.215 | 〃 |
〃 24 | 77 | 401.947 | 5.220 | 452.634 | -50.687 | 〃 |
〃 25 | 74 | 426.820 | 5.768 | 502.259 | -75.439 | 〃 |
〃 26 | 83 | 773.614 | 9.321 | 587.091 | 186.523 | 〃 |
〃 27 | 71 | 509.442 | 7.175 | 694.663 | -185.221 | 〃 |
〃 28 | 58 | 592.134 | 10.209 | 598.563 | -6.429 | 〃 |
〃 29 | 56 | (2)54.000 | 54.000 | 0 | 1月~3月 | |
合計 | 3,384.365 | 3,384.365 | 0 |
『函館商工会沿革誌』による.
(1)創立費を示す.
(2)残務整理費を示す.