また、(3)に関わるものとしては、宮城県塩釜港の海産物商からの荻ノ浜-塩釜間艀下船の改良と運賃引下の件についての照会に協力したり(明治26年1月)、あるいは「東京湾、敦賀港、大阪港、四日市港、神戸港、新潟港等ノ船舶貨物取扱上ノ習慣ヲ各地ノ商業会議所、商工会等ヘ照会シ参考ノ為メ調査」を実施したほか(同年9月)、同年11月には、函館物産商組合取締の谷津菊右衛門より「越中国産莚結束方改良意見書」および「青森県産布海苔改良意見書」が商工会に提出されたため、役員会の決議を経て富山、青森の両県知事宛に製品改良の申入れを行ない、同年中に両県から前向きの解答を得ている。
この件に関して、さらに青森県内務部からは同県下の輸出布海苔中、「何レノ地カ最モ粗悪ナルヤ」との問合せがあり、11月23日函館商工会は函館物産商組合と協議の上、「上北郡白糠村ヲ以テ最モ甚シトシ、其他泊村及下北郡ノ尻労、尻谷等ノ諸村ヨリ輸出スル者最モ製造粗悪ナルモノ多キヲ見受クル旨」回答している。一方富山県知事からも、翌27年4月になって同県下新川郡下で輸出藁莚改良組合が設立され、「当地産出ノ藁莚ハ自今改良ヲ加ヘ且ツ一手ニ製造シ益々需用者ノ信用ヲ博」する体制が整えられたことを報告してきている。これらの生産地に対する函館市場の影響力が、いかに大きかったかを示すものであろう。
こうした製品改良の交渉は、道外移入品に対してばかりでなく道内製品に対しても向けられており、27年5月には、前記の函館物産商組合の申立てにより、函館商工会は志苔昆布改良の主意書を関係する郡区役所や戸長役場に照会している。
以上述べてきたように、この面での函館商工会の活動は、一定の成果を生み出しつつあったと言える。