7月14日品川大輔は東京風帆船会社社長遠武秀行をはじめ、北海道運輸会社社長堀基、越中風帆船会社総代藤井三吉、運漕社社長岡武兵衛の4名を農商務省に呼び出し、政府で海運会社を創設することになったことを伝え、各社に合併することを要請した。その後渋沢栄一の周旋により発起者は三井系の益田孝、小室信夫、馬越恭平、造船関係で平野富二、川崎正蔵、大倉喜八郎、それに浅野総一郎といった有力資本家に、地方の有力回漕
問屋商人も加わり反三菱の勢力が結集した。同月26日に、政府はあらためて発起人を呼び出し、共同運輸会社に関する命令書を与えた。この命令書では三菱の独占を切り崩す意図を持つ一方で、非常に軍事色が強く出されている。それは
清国や朝鮮の軍事的緊張を背景としていた。命令書の第3条には同社へ交付する船舶は海軍の付属とし、第5条では、戦時下あるいは非常時には、政府が徴用するとしている。また経営陣のトップが海軍関係者というのも、同社が軍事的使命を帯びていることの反映でもあった。
共同運輸会社 『北海道独案内 商工の魁』より
10月に発起人会を開き、定款、創立規約の草案作成などをし、また資本金増額の申請をした。経営スタッフは社長に海軍兵学校長伊藤雋吉少将を、副社長には東京風帆船会社社長で元海軍大佐の遠武秀行が任命された。また北海道運輸会社の社長堀基は創立委員の1人に加わった。
株主募集は発起人と政府からは品川が中心となり行われたが、16年4月の株主の名簿には
藤野喜兵衛、高橋七十郎、園田実徳、
杉浦嘉七、宮路助三郎、松岡譲といった函館の人間の名前がある。彼らはいずれも旧北海道運輸会社の株主であり、同社が共同運輸に合併したことに伴い、移行したものである。こうして株主募集と並行して3会社(運漕社は加わらなかった)の合併の手続きが進められ、16年1月に共同運輸会社として開業することになった。