創業総会までの経歴

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 船渠築造に関する明治11年以来の動きは、第5章第2節函館港の行詰まりと改修および第9章第1節第2項造船業の発達の箇所で説明されているが、弁天砲台の下付(陸軍省の所管であったが、明治20年に廃止されたので旧砲台と称されていた)と船渠の築造とが連動する構想で進んでいた。明治23年11月、函館区会の決議により道庁へ提出された出願書には、次のように記されている。「本港ノ改修ト船渠ノ設立トニ就キ、屡之ガ調査ヲ為セシニ弁天砲台ヲ包含シ、燈明船ノ方位ニ向テ築出地ヲ設ケ……船渠ヲ設クルハ一挙両得ニシテ最良ノ計画ナリ」。
 ところで、船渠の規模とこれを保有する会社の形態が明確になり始めるのは、明治25年の「函館港湾浚渫築修並ニ船渠設置意見上申書」(以下では設置上申書と略す)からである。これは区会で選挙された港湾改良調査委員である平田文右衛門、平出喜三郎、遠藤吉平、杉浦嘉七、久保扶桑が作成の上、道庁へ提出したもので、船渠会社に関するところは次のようである。
 
一 弁天町砲台函館区ヘ御下付ヲ請求スル事
    追テ当区ヘ下付ノ上ハ船渠会社ヘ基本トシテ引継ク事
一 船渠会社創立、砲台下付及ビ浚渫工事許可ヲ俟テ、当区主唱者発起トナリ、拡ク有力家ノ株金ヲ募リ組織スル事  
一 別紙図面ノ如ク埋立ハ浚渫ノ泥砂ヲ本トシテ、其周囲ニ堅牢ナル「コンクリート」製ノ海壁ヲ船渠会社ニ於テ築立此埋地請願ノ権ヲ函館区ヨリ船渠会社ニ相当ノ約束ヲ定メ譲渡ス事
一 函館区ハ此希望ノ設計ニ拠ルベキ船渠会社ノ創立ヲ幇助誘導ナシ、同社ニ下付得タル砲台及埋立ノ請願権ヲ引継クノ為メニ、其報酬トシテ船渠会社ノ純益ヨリ区内共有財産ニ向ケ相当ノ配当ヲ得ベキ事

 
 以上、区が主体となって出願してはいるが、この頃区の財政は、水道、学校、病院、道路等への支出が嵩み、船渠事業を区が直営する事は無理であった。そこで浚渫工事は道が、埋立工事は区が、船渠工事は船渠会社がそれぞれ負担して実施する方式としたのである。区民のなかには、埋立地より生ずる利益を船渠会社が独占するものという声もあがっていた。したがって、請願権の報酬として、船渠会社に利益ある場合に至っては、永く区内共有金へ配当をする事が義務づけられていた。予算案は表9-13で示したが、埋立及船渠惣入費約128万円から、埋立地所8万7898坪の売却代金59万7111円を差引いた68万2640円が船渠会社の負担すべき金額であった。船渠会社はこれを固定資本とし、さらに16万7360円の営業運転資本を加えて、資本高85万円と想定されている。ところで、船渠の規模は設置上申書によると、「船渠ハ大小二ヵ所ヲ設ケ、商船及ビ軍艦ノ入渠ニ適スル鉄工場ヲ設ケテ新造修繕ノ用ニ供シ、国家有事ノ日ニ当リテハ、北辺海事ノ御用ニ足ルベキ準備ヲ為ス事」とあって、大船渠は平均1600トン、小船渠は平均1000トンの艦船入渠が可能の計画(横浜船渠がモデルとされた)であった。そして、工事期間は着手より落成まで3か年の見込となっている。なお、収支の予想は表9-14の通り1か年約46万円の収入で、利益金6万2397円は資本高85万円に対して、7.3パーセントに相当する。
 
 表9-13 函館港湾修築改良船渠設置に関する計画予算
 
弁天岬 159,852坪埋立費
船渠及小艇引揚場並に
造船台築造費
各工場建築費
諸器械購入代価
予備費
合計

497,535.885
340,000.000
 
203,457.000
177,817.780
60,940.533
1,279,751.198
 
売却地所代収入
船渠会社固定資本
 
 
 
 
合計

597,110.900
682,640.298


 
 
1,279,751.198

 明治25年11月「函館港湾浚渫築修並二船渠設置意見上申書」より作成
 
 表9-14 営業収支予算
 
支出
積立金及賞与
益金

365,459.700
29,363.296
62,397.004
 
収入
 

457,220
 
 
合計
457,220.000
合計
457,220

 明治25年11月「函館港湾浚渫築修並二船渠設置意見上申書」より作成
 
 道庁技師広井勇等による修港船渠新設の調査は25年11月から再開され、27年12月に完了したが、この調査・設計は翌28年に作成された創立目論見書の基礎となっている。その船渠に関する部分を引用する。
 
本港ニ築設セントスル修船渠ハ使用ノ便ト保存ノ容易トニ由リ干涸船渠トナシ、三千五百噸以内ノ船舶ノ修理ヲ施スニ足ルヲ目的トシ調査ヲ為セリ……如此船渠ヲ築設スルニ於テハ、当時本邦各地ノ汽船ニテ積量三千噸ヲ超ユル者、僅々三、四艘ナルト……現時本港ニ出入スル船舶多クハ、八百噸以内ニシテ千噸ヲ超ユルモノ僅々屈指スルニ過ギザレバ、如此大船渠ヲ充分ニ利用スベキノ時、蓋シ稀ナリトス、而シテ其築設工費モ二五万円ヲ下ラザレバ、現今函館ノ経済上起業実ニ困難ナリトス、依テ本船渠ノ築設ヲ後年ニ譲リ、先ヅ目下ノ需用ニ応ズル一千噸以内ノ船舶ニ充ツベキ船渠ヲ築設スルハ現時ノ形勢ニ適シ、他日大船渠ト伴フテ両々相利スルノ得策タルヲ確信セリ、大船渠ノ位置ハ本調査ニ由テ選定セシ箇所ヲ措テ他ニ適当ノ地アルヲ見ザルト、本港従来発達ノ度ニ徴シ将来ヲ察スレバ、大船渠ノ必要ヲ見ル蓋シ十年ヲ出デザルベケレバ、今ニ其地ヲ劃シ、小船渠ハ造船場見込地内ノ一方ニ於テ之ヲ設クルモノトス、此一千トン以下ニ充ツベキ船渠ニハ工費ノ少キト使用ノ利便ニ由リ、修船台ヲ建設スルモノトス
(『函館港改良工事報文』)

 

図9-2 埋立予定図  「函館船渠株式会社四十年史」より

 
 このように、広井技師は大船渠(総噸5000トン収容)は10年もたたないうちに必要となるだろうが、現時点では経済上からみて、1000トン以下を収容できる修船台の建設でよいというのである。そして大船渠設置の場合、その費用は47万円、修船台築造費は9万円と計算を立てている。広井技師の調査・設計に基づく埋立予定図を図9-2で示した。
 以上、区会出願書、船渠設置意見上申書、広井技師調査・設計と述べてきたが、これが創業総会において渋沢委員長が陳述を省略した期間のうち、20年以降の主な経歴である。