前述の函館移入漁網は区内の数軒の漁網商が取扱っていたが、はじめての漁網製造会社が北海道機械網株式会社の名称で、資本金15万円をもって、34年大町に創立された。この会社の前身は東京機械網会社(社長大岡育造)で、28年、山口県人岡田完爾の発明、特許を受けた機械をそなえ、東京本所区の工場で綿糸網の製造をはじめた。北海道の販売は函館大町に所在の三井物産会社に委託したが、漁網の種類が多く、注文も繁雑、しかも掛売が多くて資金の回収が容易でなく、事業不振であった。そこで、工場事務員が函館の現地視察をしたところ、綿糸網が将来有望であることを確認したので、三井物産会社との委託を解約し、31年から同社の出張店、さらには支店を設置した。32年には、東京工場のほか亀田監獄署と契約して漁網を製造させている。そして、34年にそれまでの組織を改めて北海道機械網株式会社とし、社長には笹野栄吉、監査役には内山吉太という、いずれも樺太の漁業家をあてて、販路の確立を図った。常務取締役は東京機械網会社当時からの担当者、末富孝次郎であった。35年には宮城監獄署と製造の契約をし、さらに仙台市に撚糸工場を設置している。東京の工場は36年に廃止し、亀田村五稜郭通に撚糸工場を新設した。創立以来の販売高と38年の工場別製造高を表9-33・34で示した。37、8年樺太漁業の休業にもかかわらず販売高が伸びたのは、道内の鰊網とエトロフ島の鱒網の受注が増大したことによる。しかし、区内の漁網商との販売競争は激烈をきわめ、後年に至り経営破綻して、競争相手の岡本漁網店と合併することになるが、その前兆を当時の新聞に広告された第8回営業報告(表9-35)で読みとることができる。すなわち、毎期売上高対利益率を2~三3パーセント台は計上し、年8分~1割の株主配当をおこなっているものの、前掲表9-33の販売高を約10万円上回る営業収入金が各期の営業報告に計上されていることで、粉飾決算の疑いをもつこと、貸方では借入金が払込資本金と同額という財務体質であること、借方では商品現在高と商品売掛代未済が資産の7割強を占めており、商品としての漁網受注の複雑・多様性と売掛決済の長期化の特性は東京機械網会社当時の状況と変わらない。したがって、経営資本の回転率も0.9回という低さである。
表9-33 北海道機械網会社毎期販売高 単位:円
年 次 | 上半期 | 下半期 | 合 計 |
明治34 35 36 37 38 | 99,190 122,412 125,594 148,088 | 76,044 93,710 112,415 133,112 149,875 | 76,044 192,900 234,827 258,766 297,963 |
『殖民公報』第29号より引用
販売高の内には会社製造品のほか
他より仕入れたロップその他の雑品を含む
表9-34 北海道機械網会社工場別製造高 (明治38年)
工場別 | 所在地 | 主要製品 | 製造高 |
本社工場 亀田分工場 同 仙台分工場 同 | 大町 亀田 函館監獄署内 仙台市 宮城監獄署内 | 綿糸網 綿撚糸 綿糸網 綿糸網 岩糸 | 円 30,000 149,400 37,000 22,000 15,000 |
合計 | 253,600 |
『殖民公報』第29号より引用
表9-35 北海道機械網会社第8回営業報告(自37年12月1日至38年5月31日) 単位:円
貸借対照表 | 損益勘定 | ||||
貸方即負債ノ部 | 借方即資産ノ部 | ||||
資本金 借入金 商品掛買代未済 別段預り金 小口勘定未済 受託品勘定未済 職工積立金 積立金 所有物消却積立金 前期繰越金 当期純益金 合計 | 150,000 94,716 14,108 3,195 416 2,527 578 1,940 3,000 1,798 8,058 280,336 | 払込未済資本金 商品売掛代未済 受取手形 諸立替金 仮支出金 地所及建物価格 諸機械什器備品 保証金 仙台分工場勘定 有価証券 商品現在高 当座預金 金銀在高 合計 | 60,000 59,678 6,967 1,232 909 16,441 27,854 362 366 1,413 97,723 4,450 2,926 280,336 | 営業総収入金 営業総支出金 当期純益金 前期繰越金 計 配当計算 積立金 所有物消却積立金 役員賞与金 特許使用報酬 配当金(年1割) 後期繰越金 | 247,326 239,268 8,058 1,798 9,856 500 1,000 800 560 4,500 2,497 |
明治38年6月28日「函館新聞」より引用