煉瓦石・瓦

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 前期に引続き、大丸金子工場と平工場が亀田村字大川通で製造しているが、その様子を亀田村入口から眺めると次のようである。「一道の直線は札幌街道にして、大久保酒造場、佐野醤油醸造場等皆此道路にあり、板橋を過ぐれば田野遠く開け、右方高原上に平、金子両氏の煉瓦焼場あり…」(『実利実益北海道案内』)。金子は地蔵町に、平は真砂町に販売店を開設したが、両者ともに、煉化石、屋根瓦、網足、下かめ、土管の製造・販売および付属工事を請負った。金子利吉の没後(明治29年)は、平工場の製造額が上回り、36年には平分工場を開いた。33年以降の両者の製造額を表9-36で示した。
 このほか、29年には同じく大川通に谷藤煉瓦製造場が創業しており、また上磯の北海道セメント株式会社も33年に赤煉瓦工場を新設する。34年には、金子、平両工場分を上回る煉瓦石を製造している。36年下半期の煉瓦石収入金は、13万5333円であったが、37年には製造を中止した。セメント会社の販売先は、北海道鉄道株式会社を主とし、築城部(函館山)函館支部、函館船渠株式会社その他函館区内および付近村落であった。
 
 表9-36 煉瓦石・瓦工場の状況  単位:円
名称
金子工場
平工場
平分工場
合計
年次\事項
製造額
職工及
徒弟数
製造額
職工及
徒弟数
製造額
職工及
徒弟数
製造額
明治33
   34 
   35 
   36 
   37 
   38 
13,000
8,000
10,000
9,500
2,200
2,500
20
20
20
30
30
23
16,700
16,700
31,694
32,038
16,755
17,100
50
50
99
84
30
60
 
 
 
4,770
3,901
 
 
 
15
5
29,700
24,700
41,694
46,308
22,856
19,600

 『北海道庁勧業年報』より作成