原初的蓄積の第1期

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 順風を待って帆を揚げた大和船が函館港を出帆して樺太の漁場に到着するまでの航海日数は約1か月であったが、西洋形(帆前船)では約7、8日、汽船では約3昼夜となったから、いかに西洋形や汽船が経営上有利であったかがわかる。明治15年10月8日の「函館新聞」には、「秋季の初船なるが航海日数を算ふれば僅か七、八日にして四百里許りの海上を馳せ来るは……是は全く西洋形の徳にて日本形のとても企て及ばざる事というべし……実に西洋形の至って堅固にして便利なる事は是を見て思い知るべし」(相原寅之助持船)と記されている。
 14、5年頃には西洋形の使用噸数比率(領事館報告では、「一噸ハ六石五斗五升ノ割合ナリ」として、日本形の石数を噸数に換算している)が28パーセントより44パーセントに上昇しているが、まだ日本形の使用噸数比率が多く、20年代になってからも日本形は隻数で西洋形と等しい(表9-531樺太島出稼漁業一覧表参照 交換条約と出漁)。これは日本形といっても大和船を改造した合の子船が相当数含まれているものと思われるし、また日本形は登簿噸数以上の積荷(山積みといわれた)ができて、ロシア側の登簿噸数に応じた課税額を低めるのに適していたからである。汽船の導入は20年代の終り頃、鰊漁業の発展と軌を一にしている。
 樺太漁業の漁期は、海の氷が融解する4月から結氷する10月までである。鰊は4月より5月末、鱒は6月初旬より土用の季節を中心にして8月下旬まで、鮭(秋味)は二百十日より彼岸にかけて、つまり9月より10月初めまでであるが、シスカの漁場では夏漁の鱒に鮭(時知らず)の混獲される場所もあった。このように漁期は短かく3週間から時には1週間で終漁となる年もあったから、船舶の渡航がおくれて漁期を逸することも少なくなかった。漁獲された鰊は農家向け肥料の締粕に、鮭・鱒はすべて塩引きに製造された。製造には現地人(投網1か統あたり15人のアイヌ人が製造に従事し、漁夫給与の半額が日用品で支給された)が使用されている。
 製造に使用される食塩をはじめ一切の生産手段や生活物資を運搬しなければ漁業を営めないから、次のような状況も出て来る。
 「近来の如く年々打続きて漁猟あるも仕込少なの為め只傍観するのみ、偶ま僅かの手当にて漁猟するも塩の用意なきが為め空しく其の魚を土中に埋蔵するに至り、殊に尤も不便なるは運輸の便あしく薄資の者はとても運搬船を雇入るる能わず、或は一人の雇入るる者あるも、己の荷を積込み終れば船足の満否を問わず他の荷物を積入るるを禁じて出船せしむることしばしばなるに、同地に在留する小林副領事は大いに憂え……」(明治14年2月22日「函新」)。このように、2、3人の漁場主のほか大半が無資本で出漁することを憂えた領事のすすめで、13年には地蔵町に共立漁業会社が開業する(東京日本橋区の共立銀行が株主水野利兵衛および出稼人宇野佐兵衛の依頼で設立許可の上は資本金5万円を貸与する約定であった)。この会社は突然、金主を失い解散するが、この時に区役所勧業係がサガレン島出稼人19名の身元調査をしている。このうち、函館区が本籍の者7名、区内に不動産を所有する者2名、帆走船の所有者2名いるが、寄留者で身元の厚薄不分明の者4名、資力乏しき者1名、身代限りの処分を受けた者1名と薄資者の多いことが知られる。
 しかし、9年と15年を比較すると、漁場主数は22人と2倍に近い数となり、投網数および水・漁夫数が約3倍にふえ、漁獲数量に至っては約11倍となり生産力の急伸をみせている。9年から15年までの漁獲数量を漁区別にみると、静河内およびその東西両岸に約87パーセントと集中し、次がナイプツの7パーセントである。この頃、鰊漁はまだ少なく、鮭・鱒が大半を占めていた。15年で海建網が5投以上の者は、木田長右衛門、山口徳蔵、相原寅之助、永野弥平、沓掛民吾の5名で、このうち相原寅之助と永野弥平は13年に西洋形帆走船を建造している(表9-54投網数増加状況参照)。
 
 表9-54 投網数増加状況
漁 場 主 名
木田長右衛門
山口徳蔵
相原寅之助
永野弥平
漁  場  名
タ ラ ヰ カ
タランコタン
エホロコフナイ
ナ  ヨ  ロ
漁 場
番 号
開 設
年 次
漁 場
番 号
開 設
年 次
漁 場
番 号
開 設
年 次
漁 場
番 号
開 設
年 次
  1号 
2  
3  
4  
5  
6  
7  
8  
9  
  9年 
18  
9  
18  
9  
19  
9  
14  
23  
  1号 
2  
3  
4  
5  
6  
  9年 
9  
9  
9  
9  
9  
  1号 
2  
3  
4  
5  
6  
  11年 
19  
11  
12  
14  
14  
  1号 
2  
3  
4  
5  
6  
7  
8  
  15年 
20  
14  
14  
14  
13  
21  
9  
コタンケシ
タランコタン
 
  11年
  7号
  20年

 「サガレン島漁場沿革一覧」(外交資料館蔵)より作成