大火と校舎の焼失

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 12年7月旧会所学校内に第一公立女学校が開校し、函館の公立小学校は松蔭・内澗・常盤・住吉・宝それに第一公立女学校の6校となった。官立の附属小学校と6公立小学校の分布状況は図10-2のようになっていた。しかし市街を一掃した同年12月の大火に、焼失区域から離れていた宝学校と住吉学校は難を免れたが、中心部に位置していた松蔭・内澗・常盤・第一公立女学校の4公立小学校が焼失し、約500人の児童が焼け出された。その他中心部にあった私立小学校や夜学校なども大半が焼失してしまった。難を免れた住吉・宝両学校は、翌13年1月12日より授業を再開したが、大半の児童は収容する学校も無く親の元におかれた。こうして軌道に乗り始めていた函館の初等教育は、大火による校舎の焼失によって再び出発にもどることになったのである。

図10-2 12年大火直前の区内小学校分布状況

 
 大火をはさんで、12年と14年の就学率を比較してみると、41.34パーセントから20.45パーセントへと約半分に減少している(『函館市史』統計史料編)。半減理由の第一が学校の焼失によることは明らかであるが、この就学率をさらに町別に比較してみたのが表10-6である。大火前後で街区改正があるため、便宜上戸長役場担当ブロックで区分し、焼失した常盤・松蔭・第一公立女・内澗各学校があったブロックだけを書き出したものだが、学校の焼失した区域での就学率の低下が一層顕著となり、特に常盤・松蔭両校とも焼失したⅠブロックでの減少が著しいことがわかる。なおこの地区に公立小学校が再興するのは15年のことだった。
 
 表10-6 12年大火前後の町別就学率の比較
  ⅠブロックⅡブロックⅢブロック
常盤学校 
松蔭学校
第一公立女学校 
会所・住吉学校
内澗学校
12
 
 
 
 
町 名
就学率
町 名
就学率
町 名
就学率
松蔭

船見
鍛冶
神明横

常盤
梅枝
天神
山上
茶屋
72.72
13.33
0.00
20.58
0.00
28.57
40.90
42.85
28.40
29.67
21.05
会所 

下大工
上大工
南新
汐見
相生
青柳
春日
尻沢辺 
住吉
52.38
85.00
45.45
37.70
52.45
25.00
18.18
19.14
36.36
45.83
53.84
神明

鰭横
鰪澗
弁天
西浜
大黒

仲浜
内澗
東浜
45.00
100.00
33.33
8.33
57.14
36.84
28.26
61.00
44.44
81.35
100.00
芝居
上新
仲新
下新
元新
30.00
37.50
29.82
24.24
28.57


谷地頭 
赤石

43.75
0.00
28.57
25.00
25.00
(平均) 55.01

駒止
山背泊
7.69
8.43
30.43
(平均) 40.65
(平均) 24.4612年の函館区の
就学率 41.34
14
 
 
町名
就学率
町名
就学率
町名
就学率
富岡
船見
鍛冶
旅籠
天神

駒止
山背泊
12.50
1.50
17.74
9.24
4.96
0.00
0.00
208
会所 

寿

汐見
相生
青柳
春日
住吉
谷地頭
50.00
34.21
31.03
37.30
66.66
33.51
33.87
29.31
43.26
28.57
鰪澗
弁天
西浜
大黒

仲浜
11.11
20.61
20.00
35.43
19.76
35.29
0.00
(平均) 5.23
 
(平均) 24.72
14年の函館区の
就学率 20.45
(平均) 38.94

 明治12年「学齢人員表」・明治14年「学齢人員調」(北海道立文書館所蔵)より作成
 -で消してある学校は焼失学校を表わす