昭和四十六年の調査

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 昭和四十六年十月、文化庁と北海道教育庁は、亀田市教育委員会に、桔梗サイベ沢遺跡の状況調査を依頼した。これは函館圏流通センター建設によって、サイベ沢遺跡が破壊される懸念があることと、サイベ沢遺跡の規模や面積などを把握しようとしたものであるが、広大な面積のこの遣跡はこれまで正式な分布調査がなされていなかった。この依頼は国会における埋蔵文化財に対する質問に基づいて行われたものであることが、後日明らかになったが、これが契機となって昭和四十六年度の文化財保存管理事業としてサイベ沢遺跡の分布調査が実施されたのである。
 遺跡がいかに重要なものであるかは認識していても、補助事業であって町の財政負担も重く、当時の教育長柏崎賢次郎や社会教育課長加納裕之らの苦労は一通りのものではなかった。再三にわたる文化庁調査官の来訪や北海道教育庁の指導、助言によって、ようやく分布調査の実施となり、北海道大学大場利夫教授のほか二五名が参加し、年度内の三月に成果をまとめることができた。『昭和四十六年度文化財保存管理事業亀田町サイベ沢分布調査報告書』-北海道亀田町教育委員会・昭和四十七年-としてまとめられたこの調査は北海道における遺跡分布調査を、従来の地上表面採集方式から遺物包含層の確認に主力を注ぐ方式に変えたもので、この時の調査面積は南北六〇〇メートル、東西六〇〇メートル、三六万平方メートルに及んだ。これまでの縄文遺跡の分布調査では地上に散在する遺物分布によって地下の埋蔵文化財を推定していたが、この方法だけでは地下の埋蔵状態を正しく把握することはできないことから、遺物包含層の確認に切替えたのである。ただ、限られた日数と予算の範囲でこれを実施したため、サイベ沢の南側に当る左岸台地(A地区)を重点的に調査せざるを得なかった。A地区の中で畑作のため調査不可能となった地域を除いた六万九、六〇〇平方メートルをボーリング地域として調査した結果、サイベ沢に沿って東西六〇〇メートル、南北二〇〇メートル、約一二万平方メートルが遺跡であることを確認した。報告書にはサイベ沢北側に当る右岸台地のB地区の調査区域図は掲載されていないが、昭和四十年に調査した地点に続く台地で、サイベ沢に沿う東西五〇〇メートル、南北二〇〇メートル、約一〇万平方メートルが円筒土器文化の遺跡地帯で、その東側に縄文時代晩期から縄文時代に続く続縄文時代前半の遺跡も分布していることが明らかになった。

サイベ沢遺跡土偶 市立函館博物館蔵


サイベ沢遺跡の獣骨と貝類

 函館圏流通センター建設予定地は、当初大野新道と桔梗台地との中間地帯に計画された。ここは函館湾一帯の工業地域であり、海運と陸上交通路の接点に当る、流通センターの立地には格好の位置であった。しかし、用地等の交渉準備に入った昭和四十六年四月、函館圏開発事業団は、北海道ボーリング工業株式会社土質試験所に予定地の地盤調査を依頼したが、地表部が軟弱な泥炭と腐植土に覆われており、流通センター建設には適当でないことが報告され、建設位置と地質構造の関係から、新建設地域として沖積低地帯の東側に発達する西桔梗の洪積台地が候補に挙げられた。この台地にはサイベ沢遺跡があり、周知の埋蔵文化財包蔵地として文化財保護法の適用を受けているため、同年八月、開発行為者である函館圏開発事業団から市立函館博物館に調査依頼がなされた。候補地はサイベ沢遺跡の中心部は外されていたが、周辺には縄文時代の遺跡があり、予定地内にも遺跡が存在することが予想されていた。
 函館圏流通センターの建設は、昭和四十五年に策定された函館圏総合開発基本計画に基づき、函館市、亀田町、上磯町、大野町、七飯町の一市四町の流通機構の近代化と合理化を図るために計画されたもので、函館市中央卸売市場、総合卸売団地、運輸・倉庫団地、市場関連団地が組入れられ、四四万平方メートルの広大な土地を必要とするものであり、西桔梗台地がすべてその範囲に包含されてしまう。文化庁、北海道教育庁から地元教育委員会にサイベ沢遺跡の分布調査依頼があった時には、すでに函館圏開発事業団と市立函館博物館の事前協議により、流通センター建設用地からサイベ沢遺跡部分を除いて計画が進められていた。これと並行して建設用地内の遺跡についても、八月と十一月に調査を実施し、その対策に取組んでいた。用地内には予想していたように、五地点に遺跡が確認され、更に周辺にも八遺跡の存在が確認された。その中には縄文時代前期から早期の遺跡として注目されていた石川野遺跡も含まれていたが、この遺跡は流通センター用地外であったため影響はなかった。しかし、用地内に含まれる五地点の遺跡は、小規模ではあるが新たに発見されたもので、その内の一遺跡を緑地帯として保存し、他の四遺跡は調査して記録保存することになった。