亀田平野の函館湾にのぞむ一帯には、標高四ないし五メートルの低い砂丘が有川から七重浜にかけて発達するがこの砂丘から段丘までが低湿地帯で、現在は水田や畑になっている。この低地は沖積地で、西桔梗台地(洪積台地)が形づくられてからできたものである。西桔梗台地の下部には水中堆積のローム層や砂層があり、海岸の海浜堆積物である砂丘と、砂丘の後背湿地堆積物が台地まで覆っている。低湿地は約一万年かかって形成したもので、段丘と沖積低地との境には、かつて古函館湾であった時期の海性粘土堆積と、基底砂礫層が洪積世堆積物の上にあって、更にその上に海浜堆積物が堆積している。この低湿地は、海岸の砂丘地帯から内陸へ入るに従って標高三・五メートルほどの低地となり、それが段丘までに少しずつ高さを増し、五ないし六メートルの高さになる。段丘に近い低湿地を二〇メートル程度の深さまで掘って地質を調べると、砂層、砂質シルト層、腐植土層が何層にもなっている。腐植土層は二層ほどあり、深いところでは現地表から二六メートル深度にある。亜炭化している所もあり、かって段丘のすそに森林地帯もあったが、それを細砂や砂質シルトが覆っていて、貝殼が点在することから、数度にわたって海水面が低湿地を覆ったと考えられ、そのためこの森林地帯も海面下に没してしまったようである。サイベ沢遺跡に貝塚があるのは、この低湿地が海水面に覆われていた時期に、縄文人が採集して食べた貝殼の堆積で、今から四、五千年前に海進、海退があり、それから後に河川からの堆積物などが海浜堆積物上に堆積して現在の低湿地帯を形成した。